アットアワードラマクラブ 第一幕

序詞

 舞台は都内の名門校。
 普通科、音楽科、美術科、体育科
 それぞれに所属する生徒たちは
 切磋琢磨したりしなかったり。
 自由な校風に惹かれ入学した一人。
 憧れ、諦め、それでも励む三年間を
 忍耐強く見守ってもらえたら恐悦至極。
 表現者冥利につきます。



第一幕
 第一場

 提出物からの解放は気分がいいものでギリギリまで出さない人の気が知れない。できることはさっさとやる。提出日は早ければ早いほどいい。たったそれだけで小学校から中学まで「意外としっかりしてる」と特に大人から評価された。
 せっかちというわけではないんだけど、例えば一か月分の三十ページあるドリルを渡されたら二日くらいで終わらせたがるような性格をしている。計算や漢字を学ぶのにそんなちまちまやるのは面倒臭いと思う。しかし、やらないといけないことがあるのが気持ち悪くてついやってしまう。いいことだって思う人もいるだろうが一日一ページ進めないといけないルールがあるなら叱られるようなことだ。
 別の言い方をすれば嫌いな食べ物は先に食べたいタイプだ。残すのももったいないし少し嚙んで水と飲み込む。そういう人も大勢いるんじゃないか。ズボラとか几帳面とか関係ないし、きっと多くの人に同意してもらえる。清々するだろう。
 中学の卒業式も終わったらすっきりした。受験が終わってやることがなくて今すぐにでも卒業したくて仕方なかった。楽しいことはいっぱいあったはずなのに名残惜しく感じず早くおさらばしたかった。もっとみんなと話したり写真撮ったりできたことはあったのに。こう思い返せば自分が冷たい人間に思える。

 小雨の降る四月。入学式が行われた。
 式が終わって教室に戻ると今後の予定が説明されてプリントと一緒に入部届が配られた。普通科の生徒は全員どっかの部活に入部しないといけない。すぐに提出したいのはやまやまだけど入りたい部活があるわけでもない。少し慎重にならないと駄目だ。
 新入生歓迎会の部活紹介で答えを出そうと決めた。
 大きい学校だからかどこにでもあるお馴染みの部活から、そんなのやる高校生がいるのかと疑いたくなるような部活まである。
 中学ではテニス部だった。他の運動部に比べて部員は少ないし弱小部だったけど地道に活動した。でも、この高校には体育科がある。運動部は本格的に大会に向けて取り組んでる人ばかりだ。素人に毛が生えたくらいの俺は練習場所も与えられないだろう。
 そう思ってたらテニス同好会ってのもあった。楽しくがモットーらしい。できたら新しく何か始めてみたいけど中学の時みたいにゆるいならここもいいかもしれない。
 今のところ手品部が一番面白そうだった。代々受け継がれる伝統芸らしい。俺以外の新入生たちもかなり盛り上がっていた。
 テレビでプロのマジシャンのネタ見てどうなってるんだろうってあれこれ考えるのは好きだけど、基本的にネタばらししないから正解がわからずイライラする。ここに入ってやる側になればネタもわかるし、もしかしたら新しい手品を思いつけるかも。

 ちょっとわくわくしてた。けどすぐに手品部の後に出てきた演劇部に上書きされた。
 少人数の寸劇なのに一瞬で空気が変わる。迫力を感じた。劇の内容は部活紹介そのものだった。生徒が考えたものだろうか。短くまとめられていて演技も上手い。部活動の説明をしているだけなのにかっこよかった。照明や音楽もちゃんとしている。大会などには出ず、大きな発表の場は文化祭だけらしい。部活紹介でこれなら本番はどんな劇になるんだろう。
 中学の演劇部を思い出す。しょぼかった。十人いたかな。二人くらい男子がいた気がする。衣装もろくになくてみんな下手だった。一生懸命やっているのはわかった。学園祭に向けて頑張って準備して本番を迎えた。
 体育館は使わせてもらえず教室での上演。十数人の観客。見た感じ部員の保護者と友人といった感じだった。俺は最後まで見た。本当は生徒会役員として校内を見回りしなきゃいけなかったけど腕章を取って観劇した。見届ける義務を自分に課していた。頑張れって思いながらちょっと馬鹿にしてた気もする。俺だったらもっとこうするのにってことが多かった。
 もしかしたら俺は演劇に興味があったのかもしれない。今までプロの演技を生見たり、自分が舞台に立ってやったこともない。お遊戯会とかの出し物も俺のクラスは楽器演奏やダンスだった。
 演技。演技か。やってみたいかも。演劇の役割は色々あるだろうけどやるならやっぱ演者だ。合わなかったら辞めればいい。来週の金曜までに出さないといけない入部届を書いた。

 入部届はクラス担任の先生に判子をもらった後に顧問の先生に提出する。普通科の職員室に行ってから演劇部の顧問のいる音楽科の職員室へ行かなくてはいけない。
「判子お願いします」
 担任に入部届を渡すとどうしてかニコニコした。
「里中、劇団に入るのか」
「劇団?」
 先生は嬉しそうに入部届に書いた演劇部の文字を見ている。
「演劇部だよ。人数が多くて本格的だから劇団って呼ばれてるだろ?」
「そうなんですか? 初めて聞きました」
「卒業生に有名人たくさんいるんだぞ」
 数人の名前が挙げられた。よく知ってる人もいれば名前だけ聞いたことある人もいた。彼ら全員がここの演劇部に所属していたらしい。
「いやぁ、うちのクラスから名優が生まれちゃうかもな」
「大袈裟ですよ。たくさん人がいるならどうせ裏方です」
 先生は判子を押して入部届を俺に返した。
「それでもきっと楽しいよ。頑張ってな。音楽科の校舎わかるか?」
「大丈夫です」
 そのまま音楽科へ向かった。普通科と外も中も同じ造りのはずだけど音楽科の校舎の方が白くて広いように思えた。職員室もきれいな印象だった。
 顧問の先生はなんだか上品な男の人だ。優しそうだったけど指導は厳しくて怖かったりするのかな。そうだったら辞めて手品部に行こう。



 第二場

 入部届の提出期間が過ぎて新入部員たちが演劇部用の教室に集められた。部室もちゃんとあってレッスン室も二部屋あるらしい。
 顧問の先生が文字がたくさん書かれているプリントを配って説明する。宿題を出された。この文章の途中まで暗記して、一週間後にみんなの前で発表する。難題だ。覚えられる気がしない。
「難しいと思ったらプリントを見ながらでも構いません」
 そう言われて安心した。

 『外郎売』と呼ばれてるこの長文は舞台俳優やアナウンサー、声優になりたい人は避けて通れないもので、発声や発音の練習にいいらしい。
 文字を見ながらでも駄目だ。口が回らない。記憶力も悪いわけではないのに慣れない言葉は頭に入ってこなかった。毎日練習したけど不完全なまま本番を迎えてしまった。
 だけど案外みんな俺が思ってるほど完璧ではなかった。つっかえてどんどん声が小さくなる人も途中で言葉が出てこなくてギブアップする人もいた。こんなものだ。でも俺は不安になった。誰もプリントを見ていない。持ってる人がいない。だんだん自分の番が近づいてくる。
 レッスン室では発表の間、一年生たちは五十音順に並んでパイプ椅子に座らされている。俺は左隣の普通科の男子に小声で話しかけた。
「すみません、あの」
「はい」
 集中してたら悪いと思ったけどこの人はそうでもないようで落ち着いた様子だった。
「あの、プリント見てもいいって先生言ってましたよね?」
「いいはずだよ」
「だよね。良かった……」
 ほっとした。先生の言葉を都合よく変換してしまったのかと思った。
 しばらくして俺の順番になった。
 最初からプリントに頼るようなことはしない。しかし案の定、後半部分が出てこなくなった。折りたたんでポケットに入れたプリントを出して見ながら言いきった。先生から最後まで諦めない姿勢を褒められた。それだけだった。
 俺の次の、さっき質問に答えてくれた人はすごかった。しっかり覚えていたし声も出ていた。棒読みでもない。抑揚があって歌うようにさらさら言葉が出ている。もしかして子役とか劇団所属の人なのかもしれない。先生も具体的に褒めた。
 その次の音楽科の女子もかなり上手かった。もう彼女の舞台だった。一人芝居。ちょっとやり過ぎな気もする。見なさい。私の演技、すごいでしょ。そんな感じ。今のところ一番上手いけど、隣の男子の『外郎売』の方が俺は好きかな。

 結局、プリントを見たのは俺以外に三、四人しかいなかった。全員の発表が終わると一人一人、先生から木札を渡された。
 札には黒字で俺の名前が書かれていた。裏には赤い字で。先生の字だろうか。なんだろう。
「これは着到板といって、皆さんの出欠確認に使うものです」
 部室の扉の横にはボードが掛けてあり、この名札はそこに下げる。部活が始まる時に札を黒、終わったら赤にひっくり返す。それを見て部長が部員の出欠を取ったり、放課後に誰か残ってないか確かめるらしい。
「次の部活で掛けましょう。一年生はとりあえず五十音順で」
 忘れないよう着到板をカバンの内側のファスナーポケットにしまった。

 今日はこれで解散だった。俺は隣の男子の方を向いた。立ち上がり帰ろうとしているところだった。
 カラン。軽い音を鳴らして俺の足元に何かが当たった。着到板だ。
「ちょっと! えっと、清水くん!」
「うぇ?」
 名札の持ち主を呼び止めた。多分、三年間使うものだ。失くすのはいくらなんでも早すぎるだろう。
「落としたよ」
「え⁉ あ! わ~⁉ ありがとう!」
「俺こそ、さっきはありがとう。俺、普通科の里中。B組」
「清水です。D組。よろしくね〜」
「よろしくなぁ。誰もプリント見ようとしないから不安になっちゃってさ」
「みんなすごかったね」
「いやいや! 清水すごかったじゃん! プロの人?」
「プロ⁉ そうかなぁ⁉ 練習して良かった~」
 清水は下がり眉をもっと下げて笑った。すると俺たちの後ろから一人の女子が声をかけてきた。
「お話し中ごめんなさい」
 さっきの音楽科の女優さんだ。キリリとした顔をしている。きれいだけど前下がりの揃ったショートヘアのせいか気が強そうに見える。
「清水くんって中学でも演劇部だった? それか合唱部か放送部?」
「え⁉ 三年間演劇部だったよ!」
「そう」
「どうしてわかるの? 役者顔だったりする? オーラ出てる?」
「いえ。さっきの清水くんの『外郎売』を聞いてそう思ったの。清水くんの……」彼女は言い淀んだ。「鼻濁音が、とても美しくて……」
 俺は鼻濁音が何かわからなかった。でも清水は大声で喜んだ。
「うそぉ! 嬉しい! 初めて言われた! か゚き゚く゚け゚こ゚ き゚く゚け゚こ゚か゚ く゚け゚こ゚か゚き゚ け゚こ゚か゚き゚く゚ こ゚か゚き゚く゚け゚!」
 清水が不思議な呪文を心地よいリズムで唱えた。速くて俺の耳は追いつけなかった。
「今の何⁉ なんて言った⁉ 俺もできる⁉」
「できる! 教えるよ! 一緒にやろう!」
「おお……!」
 『外郎売』と同じような練習法なのだろう。一人で練習してた『外郎売』と違ってやる気が出た。
「清水くん、将来何になる?」
 女子は清水に尋ねた。話の流れがわからない質問だ。訊かれてない俺の方が驚いたみたい。清水は冷静に返した。
「将来? まだ知らない。特に決めてない」
「そうなの?」
「とりあえず高校を出て、大学に入って出ようかってくらい」
「どこの大学?」
「わからない。高校を卒業できるかもわからない」
「そう……」
 彼女は質問するだけ質問して黙った。変な人だ。何を考えてるんだろう。
 もう部員の大半は帰ってしまって数人が俺たちのように談笑している。
「よし! カラオケに行きましょう! 一年生の親睦会!」
 また彼女は突拍子もないことを言った。でも俺はカラオケ好きだから嬉しい。
「他の一年生たちには私から声をかけます。演劇部には音楽科の生徒も多いし。二人はいつ空いてる?」
 俺と清水は土日なら空いていると返事をした。すると彼女はレッスン室に残ってる他の部員たちに話しかけた。提案はどうやら好評のようだった。

「さっきの人と清水は知り合いなの?」
 駅まで清水と歩いた。路線も途中まで同じだった。
「知らない人」
「そうなんだ。清水にズケズケ話しかけてきてたからさ……それは俺もか……?」
「なはは! いいよいいよ! どんどん話しかけて!」
 顔も話し方もへらへらしている。笑うとなおさらだ。
 清水のいた中学の演劇部には部員が十二人いて男女比は半々だったらしい。先生も優しくてみんな仲良くて楽しかった。だから高校でも続けようと思ったら規模が全然違っていて驚いたと言っていた。やっぱ普通の演劇部ってしょぼいんだろうな。
「演劇部あるあるってある?」
「ん〜〜〜……暗い役に決まると役に引っ張られて普段も暗くなる!」
「おぉ……それっぽいな……!」
 五駅目で清水は電車を降りてった。

 あの音楽科の女子は進藤さんという人で、親睦会のカラオケをきっかけに学年リーダーになった。もしかしたらこのまま俺らの代の部長になるかもしれない。
 カラオケには一年生全員来た。三十人くらい入れる部屋があるカラオケを進藤さんが予約してくれていた。歌うのは嫌な人もいたかもしれないけど俺は楽しめた。清水と進藤さんは歌まで上手でミュージカル俳優になれそうだと思った。



  第三場

 一年生たちがなんとなく互いに顔と名前が一致したところで上級生と合流した。どんな役割があってどういうことをするのか見せてもらってからやってみたい役職を決める。できるかわからないけど役者を希望してみた。清水も進藤さんも役者チームになった。
 すでに文化祭のために動き出している。顧問の先生は昔どこかの劇団に所属していたらしいけど放任主義で生徒に自主性を求めているようだった。
 先生より先輩たちが手厳しそうだ。でも嫌な感じではない。受験勉強に本腰を入れるために二年の文化祭で部を引退する人が多い。ここには勉強も部活も頑張る覚悟のある三年生が残っている。ただ一生懸命なのだとわかるからこれくらいの厳しさなら俺は部を辞めたいと思わなかった。
 真剣さが怖い三年生だけどちょっと一緒に過ごしたら一年生にだけは特別優しく接してくれているのがわかった。二年生にはビシバシ指導している。三年生から見た一年生は孫みたいなもんらしい。先生がそう言っているのを聞いた。

 練習用の小芝居の台本が配られた。いよいよそれらしいことができる。俺はざっと目を通した。
 今まで生きてきて大きな声を出すことに困ったことはなかった。授業での発表もしっかりできるし、ご飯食べに行っても一発で店員さんを呼べる。
 だけど台詞となると違った。録音してみたら声が変だった。自分の耳で聞く声と違っていて気持ち悪い。聞くに耐えられない。台詞を言うことに必死になりすぎている。息遣いと棒読みが気色悪い。こんなの人前でなんて無理だ。
「恥ずかしい?」
 どうにかしたくて清水に相談してみた。
「その役が恥ずかしい気持ちになってなかったら恥ずかしくないんじゃない?」
「え?」
「ん?」
「役の話じゃなくて、人のいるところで台詞を言うことが恥ずかしい……」
「えっ……そんな……水泳部に入ったのにみんなの前で水着になるのが恥ずかしいみたいなこと?」
「そうかな……?」
「制服のまま泳ぐわけにもいかないでしょ~大丈夫! 慣れるよ! 声出そう! あめんぼ あかいな あいうえお! うきもに こえびも およいでる!」
 清水が大声であめんぼの歌を口ずさむ。俺も後に続いた。すると周りにいた部員たちも一緒になって言い出した。遠吠えみたいだ。
 とにかく羞恥心を捨てなくては。それから変に上手くやろうと思わないことにした。思い切りやらないと格好悪いんだ。先輩たちや清水を見てそう判断した。

 自主練の時間を使って清水と読み合った。俺はわからないことだらけで清水に質問しまくっていた。
「例えばさ、ここ、呟く感じで言うと思うんだけど小さい声でどうやって客席まで台詞を聞こえるようにするの? マイクの力に頼る? 清水だったらどうする?」
「そうだな~ささやいてるみたいに話してるように見せる……?」
「どうやって?」
「演技の嘘? 今、普通の会話をしてるけどこれを舞台でやったらお客さん絶対聞こえないでしょ?」
「そうだなぁ」
「リアルの小さい声と舞台上の小さい声は大きさ全然違うよ。だから大きい声でそれらしくすればいいよ」
「大きさの調節でそれっぽくする……? 難しいな……」
「声量トレーニングしましょう」
 レッスン室の床に座ってる俺らを後ろから覗き込むように進藤さんが言った。
「トレーニング?」
「腹筋と横隔膜を鍛えるの。ペットボトルや風船を使ったり」
「えー⁉ そんなんやるんだ?」
「僕も中学でもやったよ。きついよ」
「まじか……進藤さんもやってるの?」
「腹筋と背筋の簡単なトレーニングは毎日やってる」
「はぁ~……」
 とりあえず簡単にやれそうな軽い筋トレを始めてみた。それと『外郎売』も言い続けた。
 清水と進藤さんはやっぱり一年の中でも違っている。二人とも軽そうなのに体力もあるし、演技力は先輩たちに引けを取らないんじゃないか。一年生で文化祭の舞台に立つかも。そう思ったこともある。

 実際は実力主義ではなかった。年功序列だ。やはりメイン役者は三年生、次に二年生が多い。先輩の中には本当に上手い人が何人もいるけど清水や進藤さんが入ってても良かったと思う。一年はその他大勢の役でも舞台に立てなかった。衣装や照明などの他の役職の子たちもあまり手伝わせてもらえなかった。
 清水は何も言わないし、進藤さんはこっそり文句を言った一年に「先輩たちを見てしっかり学びましょう」と声をかけた。大人だと思った。

 進藤さんがどっしり構えているのには彼女なりの考えがあったからのようだ。いつから企んでいたのかわからないけど一年の代表として彼女は動いた。
 一年生公演というその名の通り、一年生だけで行う劇をやることになった。
 文化祭が終わったばかりの今は秋。発表は三年生たちの受験が終わる頃。舞台には立たせてくれなかったけど色んなことを教えてくれたのは確かだからその感謝を込めて。
 俺たち一年は乗り気だった。先生からの許可も出た。演目は『わが町』。人が死ぬから餞には向いてなさそうだけど、当たり前に来る日々がとても大切なのだと思わせる話なのでこれに決まった。
 俺はジョージというかなり出番のある役になった。信じられない。時間もあるわけではないし、演劇部は男子が少ないから本当は俺じゃなくても良かったのかもしれない。でもみんな俺に任せると言うのでやってやろうじゃないか。そう勇み立ったけど台本を受け取った時は手が震えた。

 みんな意見を出した。こうしようああしようそれはやめよういややろう。意見をまとめるのはやはり進藤さんだった。進藤さんも出番のある役だったけど、先生に連絡をしたり色々やってくれていた。俺は自分の台詞を頭に入れることでいっぱいいっぱいだった。
 清水は狂言回しの進行役で長台詞が多い。進行役は感情的なことを言わないし人柄もわからない。
「舞台とお客さんを繋げる大切な役割です。清水くんの話しなら進行役にぴったりだと思います」
 そう言って清水を進行役に推薦したのは進藤さんだった。みんな賛成していた。俺もそうだ。本人も快諾した。
 清水は台本を読みまくって誰よりすぐに台詞を覚えた。演技のこととなると別のようだ。『外郎売』の時みたいにさらさらと流れるように言葉が出てくる。
「二年からは別の高校に行くかも」
 突然、清水からそう聞いた時は心底驚いた。普段と違って深刻そうに言うから俺もどう返すべきか困った。
「……別の高校って」
 もしかして家族に何かしら不幸があって学費の面で進学できないのではないか。一年生公演の稽古なんてやってる場合なのか。最後の思い出になるのか。俺に慰められるのか。
「……な、何かあった? 親とか……」
「ううん。親は関係ない。この間の小テスト、三点だったから再試受けるんだけど、先生にこのままだと二年生になれないぞって言われた。だから……」
「お馬鹿! 再試諦めんな! 今から頑張ればいいだろ!」
「だって!」
「だってじゃない!」
 五十点満点の小テストで三点ってどうやれば取れるんだ。補習はないとのことなので稽古の後に俺が清水の再試の勉強を見ることにした。もちろん部活のない日もだ。
「この問題はこれ使えば一発だからとにかく覚えて」
「どうやってこれを使うんだってわかるの?」
「問題文を……読んで判断する……」
「まるでわからない英単語があるならこれで調べなさいって英英辞典を渡される気分だ」
「えっとねぇ……」
 俺は頑張った。部活も勉強を教えるのも。成果は出て清水は再テストをギリギリで合格した。



 第四場

 一年生公演は開演直前までバタバタしていた。照明の設定が変わっただの衣装のボタンが取れただの電車の遅延で音響メンバーの一人が来てないだの落ち着いているチームがなかった。
 役者チームも慌ただしかった。こっそり客席を覗けば演劇部の先輩以外にも人はいる。生徒も先生も。知らない大人──誰かの保護者もいるようだった。
 開場前に流れてる音楽に急かされてる気分になる。スポットライトも照らさないでほしい。周囲が敵だらけに感じた。
 気づけば俺の手は汗でべっとりしていた。気持ち悪くて手を洗いに行った。そしたら冷えたまま戻らなくなった。動かない。
「緊張しそう! 緊張し始めた! 緊張してる!」
 いよいよ怖くなって両手をこすりながら少し大きく呟いた。嫌なことが差し迫って来ると普段の俺ならいっそのこと早く終わってくれと願うけど今日はそう思えない。ぐるぐるその場を回っていると慌ただしい部員たちの中にじっと舞台袖から舞台を見つめている進藤さんを見つけた。
「進藤さん落ち着いてる……! 俺もう逃げ出したいよ!」
 俺の方を振り返ると進藤さんはあきれたように溜め息をついた。
「何言ってるの。結婚式のシーンはまだだよ」
「そうなんだけどさ……」
「リラァクスーーー」
「ひっ」
 後ろから両肩をぐっと揉まれ耳元でささやかれた。進藤さんじゃない。目の前にいるし彼女はそんなことしない。全身がゾワゾワして震えあがった。
「清水~~~~~! コラ!」
「キャーーー!」
 清水は緊張とは程遠い顔をしている。小テストを終わらせてからのいつも通りだ。へらへら笑っている。俺の手の温度は戻っていた。

 始まってしまえばどうってことなかった。練習通りにやるだけ。ショーマストゴーオンだ。
 途中、照明が真っ暗になるところで役者が大道具にぶつかって破壊するトラブルがあって上演時間が伸びてしまったけどなんとか終えた。
 想像よりずっと大きい拍手をもらった。カーテンコールはもっと迫力があった。むずがゆい。ほっとした。恥ずかしい。あれこれ思ったけど拍手が打ち消した。やがて拍手がなるごとに嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 一年生公演は大成功だった。そう言っていいだろう。
 先生たちも三年生たちも褒めてくれた。アンケートの感想欄でもそうだし言葉でも伝えてくれた。
 かつて俺の棒読みを指摘して直してくれた先輩も直接言いに来てくれた。頑張った、信じられないくらい良くなったと言っていた。
 その後、校内新聞の取材を受けた。三年生の元部長と一年の代表として進藤さんがインタビューに応じた。俺が写ってる写真も載った。
「里中! すごく上手だった! 握手してくれ!」
 担任の先生も見てくれたようだった。まるで芸能人にでもなった気分だ。
「サインどこにもらおうかな⁉」
「やめてくださいよぉ……本当、大袈裟なんですから……」
「里中は勉強も手を抜かないから先生は鼻が高い! 嬉しいよ。一年生だけでよく頑張ったなぁ」
「…………はい」
 俺は無理矢理にでも押し込もうとしてたけどそれはもう有頂天だった。