アットアワードラマクラブ 第三幕 Ⅱ

 第七場

 この後すぐにティボルトのオーディションが始まった。ティボルトとマキューシオを希望する人は主人公二人よりずっと多い。やはりちょっと悪い役に人は惹かれるものなんだろうな。
 トップバッターは進藤さんだ。いつもよりもっと真っ直ぐに立つ進藤さんは演技中ずっと眉間に皺を寄せてギラギラした表情をしていた。
 俺の中のティボルトはガタイのいい男なので物足りない。ロミオを女子が演じるのはなんとなくわかるんだけどなぁ。女子の中でも背が高い進藤さんでもティボルトにしては小さくて細すぎる。
 それでも誰よりティボルトになりきれているのは進藤さんだ。一人、男子部員で良さそうな子がいる。これから練習していくうちにまともになっていく可能性に俺は賭けることにした。

 いよいよマキューシオの番だ。俺は落ち着いていた。緊張感がない。もしかしたら戦意喪失に近い状態なのかもしれない。これじゃ駄目な気がする。少し緊張したい。
 中学の頃に初めてできた彼女と二人で帰った時、受験当日、合格発表の日、『わが町』の開演前。思い出すと体が震えた。どれもとても緊張した。でもいい結果になった。そう思うとちょうどいい具合になった。
 俺は頑張れると思ったし、実際、頑張れた。
 オーディションまでに原文にも挑戦してみた。英語が難しすぎて断念したけど何人か翻訳者の違う日本語訳に目を通した。映画も何本か見た。自分が出せる最大の読解力と想像力を使ってイメージを固めた。台詞を読み込んだ。だけどあまりに自分の解釈を加え過ぎずに俺が演じてみたい、かっこいいと思ったマキューシオを再現した。やれること全部やった。



 第八場

 それでもマキューシオは清水に決まった。やはり上手い。本当に良かった。俺に票を入れてくれた人もいたけど圧倒的だった。
 俺のマキューシオ、クールすぎたかなぁ。これだと思ったものを表現したつもりだったけど清水が正解のように思った。俺が演じようと頭の中で想像した人物像は清水のマキューシオだった気がしてしまう。そうそう、本当はこんな風にやりたかったんだと。そんなのずるいのに。
 進藤さんは見事ティボルト役を掴んだ。満場一致だ。
 結局、俺は巡り巡ってキャピュレットになった。ジュリエットの親父。読んでみたら進藤さんを筆頭に部員たちからいいと言われた。また押し付けられた。
 でも、そんな風には思わない。舞台に立てるなら嬉しい。とことん演じてやろう。始めは悠々と構えていよう。ヒロインにひどい言葉を浴びせよう。見る人全員に嫌われよう。

 やってみるとどんどん楽しくなった。配役が決まったなら稽古と勉強に取り組むのみ。どちらかに行き詰まると自然と片方に集中する。休憩を入れながらこれを繰り返す。人生で一番有意義な時間だった。
「じゃあ、今言った通りにやってみよう。お願いします」
「はい。お願いします」
 仮死の薬を飲んだジュリエットを朝になって乳母が起こしに来るシーンの稽古中。
「『お嬢様! ジュリエット様! ぐっすりお休みで。ほら、子羊ちゃん! お姫様! まぁ、なんてお寝坊さんなんでしょう』」
 乳母が一人でぺちゃくちゃ喋るがジュリエットの様子がおかしいことに気づく。手のひらをジュリエットの鼻へ近づけて呼吸がないことを確かめる。
「『大変! 誰か来て! お嬢様がお亡くなりになった! なんてことなの! あぁ! 旦那様! 奥様!』」
 乳母の声を聞いてキャピュレット夫人が来る。彼女も変わり果てた娘の姿に慌てふためき大声を上げる。母は娘を起き上がらせて抱きしめる。
「『何をしている! 早くジュリエットをよこせ! パリス殿はもう到着なされたぞ!』」
 しびれを切らしたキャピュレット。慌て悲しむ妻と乳母を見る。娘の死を確認する。手首で脈を確かめた後にそっと頬を撫でた。
「はい! そこまで!」
「……いかがでしょうか」
「いいかも……?」
「もっと大袈裟に悲しんでもいいんじゃない?」
「なら騒いだバージョンやってみよっか」
「乳母うるさすぎない? 平気?」
「いいよいいよ」
 ジュリエットの死に対面する人々はどこにどう触れるかかなり話し合った。キャラクターらしさやジュリエット役に配慮した。この場面が一番やりにくかったかもしれない。

「決闘シーンどう?」
「難し~。タイミング合わないと怪我するし、かといって遠慮して思い切りやらないと格好悪いし」
 別の場面の稽古を終えた清水と部室で昼飯を食べながら互いの稽古の報告をした。全体の読み合わせ後すぐに始まった殺陣の練習に清水は苦戦しているようだ。動きと音楽を合わせるのは難しいだろう。
「それに……」
「それに?」
「マキューシオの死ぬ場面、どう言えばいいかわからないんだよね。『くたばっちまえ』って難しくない?」
「読み合わせの時は特に何も言われてなかったじゃん」
「あの時は両家のせいで死ぬことに対してコンチクショー! って気持ちで読んでたんだけど……それだけ? って思うようになっちゃった」
 それだけで十分だろう。俺もマキューシオの台詞は繰り返し読んだ。モンタギューもキャピュレットも滅んでしまえと自分の死の根源に対して悪態をつく。当たり前だと思う。そこまで考えることはないんじゃないだろうか。
「なんだろ? 僕、マキューシオは完全にモンタギュー派だと思ってたからモンタギューも滅べって言うのに違和感あるのかな?」
「でも実際モンタギューとキャピュレットのせいであんな目に遭うんだから……」
「ん〜〜〜もっと、何か、違う意味合いが欲しいんだよね〜」
 俺はアドバイスできない。こうするべきだと思うことがあってもきっとふさわしくない。清水の悩みに寄り添ってやれなかった。



 第九場

 夏休みに入ると講習が始まり部活で集まれる人数もバラバラになってきた。
 この日は部室で六、七人集まってあれこれ話していた。
「志望校の過去問解いてたら、英語の長文問題にロミジュリのあらすじ載っててさ」
「おぉ」
「読まなくてもスラスラ答えわかって最高だった! 演劇部入ってなかったらきっとちんぷんかんぷんだった」
「本番だったら良かったのにね」
「それは本当にそう思う」
 そのうち何人かは塾に行くだのレッスンが始まるだので帰った。俺と清水と進藤さんが残った。
「みんな意外と『ロミオとジュリエット』知らないものなのね」
 進藤さんが台本をめくって呟いた。ページには書き込みがたくさんあってすでにボロボロになっている。
「俺も知らなかった」
「僕も知らなかった」
「二人もそうなの。でも里中くん、よく挙げてくれたね」
「偶然見つけただけだよ。有名だしこれでいいやって」
「里中くんの発表、上手だった。みんな心掴まれて、あの場で演目が決まったようなものだよ」
「そう? 決まった時、もう引き返せないってちょっと震えた」
「『知らずに出会うのは早すぎて、知った時にはもう遅い』」
 ジュリエットの台詞を清水が歌うように言った。もしかして全部の台詞が頭に入っているのか。
「里中君は二人と出会っちゃったのね」
「運命だ! ジャジャジャジャーン!」
「素敵」
 清水と進藤さんは大袈裟に言う。俺は話題を変えた。
「でもさ、ロミジュリ知らない人がいっぱいいるなら俺らの劇で知ってほしいよな」
「そうね。きっと見た人たち驚くよ」
「下ネタだらけだし!」
 マキューシオ役の清水は楽しそうに言い放つ。
「……進藤さん的にはどうなの? そういう表現」
 こんなこと尋ねるのも失礼なのかもしれないけど、ちょっと気になった。こういうの進藤さんは嫌いそうだ。
「別に好きじゃないけど乳母とマキューシオのキャラクターならいいんじゃない? マキューシオのことなら二人はよくわかってるでしょ。乳母は明け透けなところが魅力だもん。バルコニーでは邪魔に入るけど二人の恋を取り持ってくれる。最後は大人として冷静にかわいいお嬢様を裏切る。下ネタも言う。いい役じゃない?」
 ふふんと鼻先で笑われた気がした。坊や、これくらいの表現に戸惑う私だと思って? てな具合に。女子はこういうの毛嫌いするものだと思ってた。俺が敏感になりすぎてるのか。
「あとさ〜ロミオに好きな人いたのも知らなかったよ〜」
「一途であってほしいよね。ミュージカルとかではロザラインの存在がなくなって恋に恋してるロミオになってたりするよ。ティボルトはジュリエットを愛していたりね」
「何それ⁉」
 俺と清水は声を合わせた。
「そっちのがドラマチックじゃない⁉」
「ロマンチック〜!」
 ティボルトがジュリエットと話すシーンはないはずだ。なのにそんな改変を思いついた人がいるのか。
「進藤ティボルトはどうなの⁉」
「恋心隠してるの⁉」
「私たちの劇は原作をなぞってるのが売りだよ。でも、そうだね。私は昔からジュリエットが好きなティボルトを見てきたから私のティボルトは原作よりもジュリエットをかわいく思っているかもね」
「ひゃ〜〜〜」
「どうしよう……俺、ティボルトを見る目が変わったかもしれない……」
「好きに解釈してちょうだい」
 何をどう捉えるかで表現の仕方も変わる。物語や芝居の描き方って難しい。
 これを仕事にしてる人がいる。すごいことだ。俺たちのは部活だし坊ちゃん嬢ちゃんのごっこ遊びみたいなもんだろうけど、こんなに頭を使って感情があちこち移動してる。振り回されてるうちは駄目なんだろう。見てる人を翻弄しなくちゃいけない。大変だ。それなのにこんなにおもしろいんだからやめられるわけなかった。



 第十場

 あっと言う間に夏休みは終わった。俺は成績を維持するので精一杯だったけど部活と勉強を両立できていた。清水は志望校を下げるらしい。定期テストもある。一緒に勉強をすることもあった。
 テストが終われば校内の雰囲気はガラッと変わり文化祭の準備一色となった。基本的に出し物はクラス単位ではなく部活動で行われるが有志も多く参加する。廊下はすぐに展示に使うベニヤ板やダンボールだらけになった。
 演劇部では何回目かの衣装合わせが行われた。俺の衣装はジュリエットの父親役なので威厳を出すため体が少し大きく見える作りになっている。本番には付け髭も用意されるらしい。
「重たすぎる?」
「大丈夫!」
 衣装係の井藤が上着を着せてくれた。長いコートは重さがあるけど大きく動き回るわけではないし平気だろう。
「金色の線とかボタンとかすごい……刺繍って手で縫ったの?」
「えへへ。刺繍はみんなで頑張ったよ。モンタギュー家とキャピュレット家と大公の親類で分けてるんだよ」
「へぇー⁉」
 誰がどの家の人なのか劇を見る人にもわかるようにキャピュレット家は赤、モンタギュー家は青の衣装ということになっている。それは俺も前から知っていたけど衣装係たちが細かくこだわっていたことにただただ驚いた。
「深紅に金の組み合わせってかっこいいな。濃紺と金よりずっといいよ」
「しっ! モンタギューの耳に入ると面倒ですぞ!」
「聞かせておけ」
「叔父上」」
 井藤とふざけていると後ろからこっちに近づく声がした。
「そのようなこと口にせずとも一目瞭然ですよ」
 ティボルト役の進藤さんが衣装を身に着けやって来た。俺とはまた少し違った赤の服。夏休みが終わって進藤さんは肩くらいあった髪をバッサリ切ってショートヘアになった。まるで美青年だ。ちょっと細すぎるけど。
「男装の麗人じゃん」
「ふふっ。ありがと」
「部長! あの! 写真撮ってもいいですか!」
 後輩の女子たちが群がってきた。俺と井藤はさっと避けた。
「いいよ」
 進藤さんは快く写真撮影に応じる。
「ありがとうございます!」
 カーテンを閉めた窓際に立つ進藤さんに向けて後輩がカメラを構える。すると進藤さんは止めに入って不思議そうな顔をした。
「みんなで撮るんじゃないの?」
「え⁉」
「え?」
「ええっと」
「……俺が撮ろっか?」
 俺はカメラマンに名乗り出てみた。進藤さんを中心に後輩たちを適当に並ばせて数枚撮る。
 きれいに撮れた。カメラの持ち主に確認してもらう。
「どう?」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。進藤部長だけ写ってる写真が欲しいですってちゃんと言った方がいいよ」
「……はい」
 カメラを返すと後輩は素直に俺の言ったことを実行して進藤さんの撮影会が始まった。井藤とその様子を見ていた。
「モテるなぁ」
「羨ましいこって」
「里ちゃ~ん! 井藤ちゃ~ん!」
 青寄りの紫の服を着た清水が小道具の刀を振り回しながらバタバタやって来た。
「購買行かない? お腹空いた」
「衣装のまま⁉ 脱いでって! 里中も! 汚したらジャージで出てもらうから!」
 上着だけを井藤に預けて購買へ向かった。清水は刀も没収された。

 俺は制服のシャツの上から試着していたけど清水は体操着だった。体操着にスキニーパンツというちぐはぐな格好をしている。よく見るとパンツの作りが違うようだった。
「なんか清水のズボンしっかりしてる気がする」
「これ、僕の私服!」
「え⁉ なんで?」
 清水は足を大きく上げながら歩き出す。
「動きやすいダボダボしてない白いズボン持ってる? って。本当は全部の衣装を一から作る予定だったんだけど、時間なくなって代用できるものは代用することになったんだって」
「なるほどなぁ」
 刺繍に手間かけすぎたのかな。マキューシオは闘いのシーンあるし伸び縮みする市販のものの方がいいだろう。万が一、本番で破けたりしたら舞台は台無しだしかわいそうだ。
「でもその分、上着がすごいから!」
「上着すごいよなぁ。キャピュレットとモンタギューと大公で刺繍違うんだって知ってる?」
「そうなの⁉ 後で見せてもらお~」
 大きいスキップをする清水に合わせて俺も跳んだ。そのまま購買へ向かった。


 第十一場

 金曜日になった。ついに文化祭まであと一日。
「里中くんじゃん! 劇団どんな感じ? 順調?」
 ロッカーから部室へ向かう途中でクラスメイトたちとすれ違った。
「私たち、息抜きに文化祭行こっかって話してたんだ」
「おぉ。見に来て絶対」
「里中も出るの? 何役?」
「俺はジュリエットの父ちゃん」
「ロミオじゃないんだ」
「出番いっぱいあるの?」
「見てのお楽しみ」
「えー?」
 この友人たちの一人に特に頭のいいやつがいる。最近あんまり話せてない。そいつと目が合うと口を開いた。
「おー! ロミオ! どうしてあなたはロミオなのー? ってやるの?」
「やるよ」
「へぇ。楽しいんだろうね」
 それだけ言って先に一人で行ってしまった。
「なんだあいつ」
「感じ悪ぅ」
「里中くん、気にしなくていいよ。最近ね、イライラしてるんだよ」
「うーん」
 普通科の三年生はとっくに部活を引退して受験勉強に専念している人ばかりだ。この友人たちみたいに文化祭へ遊びに行く人もいるし来ない人もいる。自由だ。選べる。でも選べない人もいる。
 親に小言を言われても俺が選んだことだから、羨ましがられても馬鹿にされても今更どうこう思わない。もう本番前日だ。いらついたって不安がったって意味がない。
 『外郎売』を唱えて明日に備えて早く風呂に入ってすぐ寝た。



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