突然春は跳ねる #15

 明日、ついに日曜日。長山さんと美術館へ行く。今日は軽く体を動かして昼寝してまた走った。
 ちょっとしたドレスコードがあるものだと思ってたけど、服を着てれば美術館から追い出されることはないらしい。そんなに構えなくて平気だと長山さんは笑っていた。
 だけど高貴な印象が離れない。こういう時は朋律がくれたワンピースの出番だ。カジュアルとフォーマルの中間でちょうどいい。
 これに合う靴となると選択肢が限られる。コツコツ音が鳴るヒールのある靴は響いてうるさいから避けた方がいいみたいなことも聞いている。
「今回の展覧会はたくさん人が来るからヒールで誰かの足を踏んだら大変だし、人混みでも踏ん張れる楽な靴がおすすめだよ!」
 長山さんの言葉を思い出しバレエシューズに決めた。ワンピースに合わせてもおかしくないはずだ。
 ハンカチやティッシュ、汗ふきシート、絆創膏などを入れてるポーチと財布と携帯電話を鞄に入れた。それから普段あまり使わない折り畳み傘も。
「こんなものかな……」
 ワンピースをクローゼットから出して壁にかけた。これを着て美術館へ行く。長山さんと初めて寄り道以外で遊びに行く。明日はどんな日になるんだろう。楽しみなのに少し体が強ばっている。知らない場所に行くだけでこんなにも気負ってしまうものなのか。大会の時みたい。こういう時は早くベッドに入るに限る。
 私は昔から寝つきがいい。いつだってどんな体調でも横になって目を閉じればすぐに寝てしまう。気づけば朝だ。目覚ましが鳴れば遅刻しない。

 そのはずだったのに今夜は例外みたい。すぐ寝たけど目覚めてしまった。時計を見るとまだ一時間も経っていない。クーラーをつけているのにうっすら汗をかいていた。
 顔を洗いに洗面所へ行って、水を飲みに台所へ行けばもう眠れない。頭がスッキリして眠気は去った。
 リビングのソファーに体を預ける。テレビでも見て眠くなるのを待とうか。寝なくちゃと思うと焦ってくる。日付が変わる前に寝たい。ぼーっとしてるとガチャっとリビングのドアが開いた。
 お母さんだ。ワインが入っているであろうマグカップとポテトチップスを持っている。どっちもお母さんの好物でよく食べている。
「珍しい。比呂子がこんな時間に起きてる」
 お風呂上がりのようだ。これから海外ドラマでも見るのだろう。休みの日は遅くまで起きてる人だ。
「……寝られないの」
「明日はどこか出かけるの? 用がないなら夜更かしなさいよ」
「遊びに行くから寝なきゃ」
「どこに行くの? 友達と?」
「美術館……」
「美術館? 美術に興味があるの?」
「まぁ、そんなところ」
「そうなんだ。知らなかったよ。いいねぇ」
 私の隣に座ったお母さんはポテトチップスの袋を開けて食べ始めた。コンソメ味だ。
「お母さんもね、昔、信也しんやさんとデートで美術館に行ったよ」
「え⁉」
 両親に美術をたしなむ趣味があるとは思わなかった。二人とも音楽は好きみたいだけど今まで絵や画家の話をしてるのは聞いたことがない。絵を描いてるのも見たことない。
「ふらっと立ち寄ったんだよね。ポスターが目に入ってここ行ってみよっかって。二人とも美術は全然わからなかったけど綺麗な空間だからそういう面ではデート向きだよね」
「わからないんだ……」
「美術館の雰囲気を楽しんだだけだよ。それで十分なんだから。真也さんとぼんやり絵を眺めてるだけの素敵な時間だったわ」
 長山さんの言う「空気を吸う」とはちょっと違うのかな。色々な楽しみ方があるんだな。お母さんとお父さんはコンビニに寄るみたいな感覚で美術館に行ったのにどうして私はこんなにあれこれ考えてるんだろう。
「お母さんはさ、緊張したりしなかった?」
「緊張? 何に?」
「何って……」
「美術館にふらっと入ったのは何度目かのデートだったしガチガチに緊張はしなかったけど。比呂子も明日はデートなの?」
「もう寝る」
「寝られないんじゃないの? ポテチ食べない〜? そのうち紹介してよ〜」
 明日は楽しむんだ。きちんと寝なくちゃ。暑くもなるんだから熱中症に気をつけないと。
 部屋に戻って体をほぐす。ベッドに寝っ転がって深呼吸を二、三回繰り返すと力が抜けて知らないうちに朝が来た。誰もいない美術館で迷子になる夢を見て最悪だった。