突然春は跳ねる #16

 天気は晴れ。予報通り気温は朝から高い。駅前の日陰になってる場所で長山さんを待っている。約束まで三十分。いくらなんでも早すぎた。
 私と同じように待ち合わせをしているらしい人もちらほらいる。この人たちはどこに行くんだろう。今日を楽しみにしてたのかな。心の中で相手がいつ来るかわくわくしてるのかも。
「いわちゃーん!」
 明るい声に呼ばれて顔を上げると長山さんが駆け足でやって来る。時計を見ればまだ二十分前だった。
「いわちゃん来るの早いね! 暑くなかった?」
「大丈夫だよ。長山さんも早いね」
「十五分前には着くように家を出たんだけど早歩きしちゃった! 信号もスムーズで青信号が……」
 話がフェードアウトすると長山さんは私の全身を足元から見た。目と目が合って私も見つめ返す。長山さんの目は案外キリッとしていることに気がついた。
「いわちゃんの私服見るの初めてだ! きれい! 素敵! 大人っぽい!」
「あ、ありがとう……長山さんもかわいいよ……」
 長山さんはキャップをかぶって二つに分けた髪を三つ編みにしている。オーバーオールスカートにリュックを背負って、靴はスニーカーで動きやすそう。これくらいラフでもいいんだな。活発な長山さんにとても似合う。
「もう電車乗っちゃおうか」
 そう言って私は長山さんに手を伸ばしてみた。
「そうだね! せっかく予定より早く集まれたもん! 美術館たくさん楽しも〜う!」
 長山さんは手をしっかり握ってくれた。

 週末の電車は混んでいたけど空いてる席があった。座ると長山さんはリュックから小さい冊子を出して私に渡した。
「何?」
「今日のデートのしおりみたいなやつ!」
「デート、の、しおり……」
「あたしなりに今日の展覧会についてまとめてみたの」
 パラパラめくってみると今から見に行く絵の作者の生い立ちや代表作、見どころが書いてある。美術館の歴史まで。ちょっとした絵本のようだ。
「調べれば誰でもわかるようなことばかりだけど、いわちゃんの美術館デビューを祝して僭越ながら」
 文章もイラストも手書きだった。紙も普通のじゃなくてきれいで厚めで手触りがいい。全部長山さんが私だけに用意してくれた。
「嬉しい……」
「へへ! 良かった! あたしも嬉しい!」
 駅に着くまでしおりを教科書にして詳しく解説してもらった。ざっくりとわかりやすい言葉を選んでくれる。
「美術史の授業は頑張らないと寝ちゃうんだよね」
「頑張ってるんだ」
「頑張ってる頑張ってる!」

 美術館の駅に着くと乗客の半分くらいが電車を降りて同じ出口へ向かった。人がぞろぞろ同じ方向に歩いて行く様子はおもしろい。
「着いた! ここだよ!」
 思ってたより普通の建物だった。美術館の手前に大きな球体がある。二メートルくらいありそう。これも作品なのかな。
 美術館の入口は昼時の学校の食堂や購買のように人がいっぱいだった。チケット売り場も列ができてる。私たちも並ぶのかと思ったら長山さんが前売り券を買っていてくれていた。それ専用の短い列に並ぶ。
「いざ!」
 ここにいる全員が美術に興味がある人だと思うと気後れする。やっぱり私は場違いなんじゃないかと考えてしまった。
「緊張する……」
「緊張! わかるよ! あたしもついに本物が見られるって思ったら昨日はなかなか寝られなかった!」
 長山さんの緊張は別物だった。

 会場の入口はすぐそこ。列の先頭では係の人が次から次へとチケットを確認している。長山さんはリュックからメモ帳と短い鉛筆を出して被っていたキャップをしまった。
「いわちゃん、もし中ではぐれたら出口で落ち合おうね。あたしが突然消えても無理して探そうとしなくて大丈夫だから鑑賞続けてね」
「はぐれる……? 列に並んで見るんじゃないの?」
「並ばなくて平気だよ。作品番号や順路はあるけど空いてるところから見ていくつもり。一つの作品に人が集まったら列できたり譲り合いだけどね。目玉作品は群がりに群がるよ! ここにいる人、全員あれを見に来てるもんだから! 気合い入れるよ!」
「おお……」
 学校の食堂では人並みに飲まれそうだった長山さんが頼もしい。
 そして昨晩見た夢を思い出す。夢では探しても探しても出口が見つからなかった。美術館に閉じこまれたようだった。誰もいない。もちろん長山さんも。作品だけが並んでて逆に私が見られてるみたいで怖かった。
「……はぐれないでほしい。できるだけ」
「うん! 一緒に回ろうね!」
「チケット拝見します」
 心強い返事をもらったのとほぼ同時にチケットは点線で切られた。