スプリング・スプリング・スプリング #04

 イワイさんを校内で見かけるとパン屋さんでちょうど焼きたてが並べられた時とか苦手な水張りが文句なしに成功した時のように嬉しかった。
 見かけるのは週に二回くらい。教室を移動する時にすれ違う。いつも体格も気も強そうな運動部の子たちと一緒にいる。その中でも一番かっこいい人だと思った。イワイさんが「いわちゃん」と呼ばれているのを聞いて心の中で呼んでみたりした。
 体育祭のイワイさんはすごかった。バトンを落とした選手がいたにもかかわらずイワイさんの大活躍で学年対象リレーは二年生が勝った。クラスが違うとこうはいかないけど学年対抗なので私も堂々と応援できて楽しかった。三年生は同じクラスになれたらとささやかに願ったけどこれは叶わなかった。

 本格的に寒くなった頃、私は高琴たかこと君に夢中になった。
 高琴君は舞台や映画を中心に活躍してる若手の俳優さん。最近はテレビドラマにも出て活動の幅が広がっている。私も最初は顔を知ってるくらいだった。だけど滅多にバラエティに出ない高琴君がターゲットにされたドッキリ番組を見た日から変わった。
 ぼーっとしていたら番組が始まった。番組の内容は子役の男の子とエレベーターに閉じ込められるという悪趣味なものだった。人を怖がらせるドッキリは嫌だ。喜ばせて落とすのもかわいそうだけど怖がってる人を見て笑うなんて意地悪だ。馬鹿にするにも程がある。
 チャンネルを変えようとしたけど私はこたつに入っていた。手を伸ばせる範囲にリモコンがない。寒さは人を怠惰にさせる。冬は無理しなくていい。頑張るにふさわしくない季節なのだ。
 高琴君は異常に気づくとエレベーターの全部の階のボタンと非常ボタンを押し、インターホンで外部に状況を説明した。狭い場所にずっといると怖くなると言う男の子に少しでもエレベーター内を広く感じさせるため高琴君は座るように言い聞かせた。
 そのうち、うんともすんとも言わないエレベーターから真っ黒な煙が出る。励ましながら自分のコートの中へ男の子を入れて煙から遠ざけた。彼は驚いてこそいたがうろたえなかった。
 スタッフがネタばらしすれば仕掛け人だった男の子の肩をぽんぽんと叩く。笑って「演技が上手ですなぁ」と言った。ほっとした彼の笑顔が忘れられない。
 なんて機転の利く人なのだろう。私なら大慌てで無理矢理エレベーターの扉を開けてしまいそうだ。煙を見たら絶望するだろう。周りを気遣う余裕はこれっぽちもない。ドッキリ大成功だとか言われたら泣きながら怒ると思う。
 ネタばらしの後、高琴君は映画の番宣をした。
「続編もついに明後日公開です。第一作は明日の夜九時から放送されます。どうぞ皆様、ご覧ください」

 まんまと金曜日の夜に高琴君の出る映画のテレビ放送を見た。ご飯とお風呂を二十一時までに済ませてお菓子と飲み物を用意してテレビの前で待機した。
 映画はすっごくおもしろかった。でも悪役を演じた高琴君の出番はすっごく短かった。三言だけ喋って軽く鼻歌を口ずさむ。たったそれだけ。それだけなのに演技と歌の上手さを披露するに十分だった。
 ドッキリ番組ももしかしたら演技だったかも。台本があってその通りやっただけなのかもしれない。そうだとしても、いい俳優さんだと思えた。

 テレビ放送の翌日に公開される続編の映画も見たくなって近所に住む漫画好きの叔父に頼み込んだ。実写映画には興味がなかったようだけどかわいい姪っ子のお願いは断れない。日曜に連れて行ってもらう約束をした。
 あんなにわくわくして映画館に行ったのは初めてだったかもしれない。大きなスクリーンに映る高琴君は美しかった。人間の眉毛がきれいだと初めて思った。今作は出番が多くて長台詞もあった。殺陣も素晴らしかった。たくさん練習したのかな? どれくらい? 元々運動神経がいい人なの? 彼を知りたくなった。
 映画の最後に三部作の完結編が再来年の春に公開予定と予告されていた。二年後の春、私は高校生だ。見に行くしかない。

 それから数日、叔父から漫画を借りてずっと読んでいた。アクションシーンの多い漫画はあまり読まないのでストーリーだけじゃなくて表現などもおもしろく感じた。高琴君の役が一番かっこよかった。夢にも出てきた。
 次に高琴君の出るラジオを聴いたり雑誌を読んだりしてみた。初めて芸能人を好きになってそれはもう楽しかった。
 高琴君は私生活をあまり語らない。共演者から若いのに落ち着いていて博識でちょっと天然ボケなところもあると言われていた。ファンの対応もいつも紳士的で変なスキャンダルもない。本人が語らずとも周りの人々が彼を称賛する。悪い役柄だった映画とのギャップがすごい。どんどん好きになった。きれいな絵を描いてと言われたら私は高琴君を描きたい。こんなに完璧な人、世界中探しても他にいない。

 映画を見に行って二週間過ぎた頃だった。高琴君が週刊誌に書かれた。あの映画の監督と喧嘩したらしい。殴り合いではなくて彼なりの異議申し立てというか、生意気なことを言ったらしいのだ。
 監督は普段から素行が悪い人間で、連日遅刻したり酒を飲みながら撮影を始めようとするらしい。それでいい映画を作るから許され続けているようだ。この人はこういう人だからって。
 だけどそんなの間違ってる。どうして高琴君のスキャンダルになってしまうの。これから芸能界から干されてしまうのだろうか。完結編は完結するのか。高琴君にはいい人でいてほしい。

 私の不安は三日後に形を変えた。監督が逮捕された。泥酔した十七歳の女優を車に乗せ、飲酒運転で人を轢いて逃げた挙句に歩道へ突っ込んだ。幸い死者は出なかった。女の子も轢き逃げされた人も車に突っ込まれた歩行者もすぐに救急車で運ばれ助かったらしい。監督は両手両足を骨折した。車内から覚醒剤と大麻とコカインが出てきた。ワイドショーは盛り上がった。
 まだ公開されたばかりの映画の上映も完結編の制作も中止となった。キャストやスタッフは今、何を思っているだろうか。
 高慢だと書かれた高琴君への世論も変わったようでそれだけは安心した。でも、監督が捕まったのはあの若い俳優のせいだなんて言う人もいる。
 高琴君、これからもどうか理想の人であってください。正義感のあるあなたに憧れます。悪いことを何もせずに舞台で、テレビで、映画で活躍してほしい。私をがっかりさせないでほしい。恋人ができてもいいです。いても隠してください。隠せなくても二股や不倫じゃありませんように。眉目秀麗、品行方正、冷静沈着な高琴君が好きです。私はあなたになりたい。