スプリング・スプリング・スプリング #10
ヌードデッサンは熱だ。裸のモデルに合わせて夏はガンガン冷房を利かせられない。冬には暖房の設定温度を上げる。
モデルがバスローブを脱ぐ瞬間にいくらどきっとしてもデッサンを始めればそんな気持ちはどっかに行く。決められた時間で描き切らなければならない。自分の今の力を出す。評価されるから。真剣勝負の世界だ。そんな中にいれば熱を感じる。自分も集中して発熱する。当然のことだ。
休憩時間やデッサンが終わった後にカーテンと窓を開けると風が入ってきて労ってくれる。達成感か遺憾か関係なくお疲れさんと適度に冷やされる。
ただ、他の人──ひので君や真生君はどう感じてるのだろうと思う。そんなこと知りたがるのは私がすけべみたいだし二人も嫌かもしれないから言えない。とにかく、暑い中で集中すると室内は熱気で満たされ体がじわじわ蒸されるのだ。
「はぁ……気持ちいいね……」
今、きれいで無防備な裸のいわちゃんが私の隣にいる。ただでさえ長い手足をぐぐっと伸ばして広くて熱い湯舟でリラックスしている。
銭湯に誘ってみたら来てくれた。最初は寄り道することに抵抗があったようだけどすぐに了承してくれた。誘って良かったと心から思う。
服を着ていてもいわちゃんが細いことはわかっていたけどただ痩せているだけじゃない。無駄な脂肪は一切なく最低限の必要な筋肉だけが残っているみたい。見ていて不安になるような細さではない。かっこいい。アスリートだ。
それに比べて今の私は太ってないけど特別痩せてもない。全身的にぶよっとしている。家族からは健康的だって言われると思う。健康なのは絶対に私よりいわちゃんなんだけど。
私みたいな体系の方がデッサンもしやすい。でも、いわちゃんがいいよって言ってくれたらいわちゃんの裸を描く。ここに紙と鉛筆があったら、私はのぼせながら一生懸命いわちゃんをデッサンするんだ。
「んはは」
自分のくだらない想像につい笑い声が出てしまった。
「どうしたの? 思い出し笑い?」
お湯に浸かって真っ赤になってるいわちゃんが首をかしげてこっちを見ている。グラビア印刷して誰にも見せず飾りたい。
「……今日ね。授業で男性のヌードも描かせてください! って先生に必死にお願いしてる子がいてね。急に思い出しちゃった」
まさかあなたの裸について考えていましたなどとは言えず、今日の出来事を話した。嘘ではないから大丈夫。
「描くの女の人ばっかなの?」
「うん。男の人の方が描くの難しいんだ。君たちにはまだ早いかなって却下されてたの。ガッカリしてる様子がおかしくって」
「へぇ。難易度が違うんだ。男子も女の人を描くの?」
「そうだよ」
「そうなんだ……いいんだ……」
「中学の授業で自分の利き手じゃない方の手を描いたの覚えてる?」
「あぁ、うん。やったね。難しかった。廊下に飾られたの、ちょっと怖かった」
「うんうん。約二百人分の片手がずらーっと並んでたね」
「確か外でも描いたよね。学校に植わってたなんかの花の木描いた記憶ある」
「うん……」
胸がどくんとなった。私が初めてしっかりいわちゃんを見た日だ。強い風が吹いた日だった。私の画用紙が飛ばされていわちゃんがキャッチしてくれた。
この日のことを覚えているか確かめたかった。改めてありがとうと言いたい。でも止めた。あの時の私はあまりにもかっこ悪いから忘れてても構わない。
「スケッチもいいよね。あたし野外スケッチ大好き」
「スケッチとデッサンって違うもの?」
「スケッチはざっくり、デッサンはしっかり描く感じかな」
「デッサンはしっかりか……デッサン……」
相槌を打ちながらいわちゃんはおでこに張り付いた前髪を上げた。おでこもしっかり赤くなってる。
「デッサンってさ……」
「んー?」
「ヌードデッサンって描く側の人はどんな気持ちになる?」
「んー……」
「いや、ごめん。今のなしで」
そう言っていわちゃんは湯舟のへりに突っ伏した。私は今、どんな気持ち?
エロスは美や善いものに対する愛である。それでいてやはりえっちである。それは真実で憧れなのだ。