スプリング・スプリング・スプリング #11
何日も雨が続いている。弱くなったり強くなったりするのを楽しんでいた。それもすっかり飽きた。雨は嫌いじゃないけど天気は変わってこそだと思う。ずっと同じ天気じゃつまらない。
やっとカラッと晴れの日が来たら太陽は大地を焼く。水溜まりも乾き、私の喉も渇く。
本日のアクション部は外にマットを出して今までの確認や新しい動きを練習したり自由に動く予定らしい。私も準備体操に参加して全身を伸ばして少し汗をかいて健康になった気分だ。
おふざけなしの本命の部活と違っていい息抜きになってるんだろう。先輩たちは回ったり跳んだりチャンバラをして楽しそうだ。紙と鉛筆を持ってくれば良かった。美術としてやることも進んでいるしクロッキーでもやらせてもらえれば有意義だったかも。
「何してるの?」
木陰に座って先輩たちを見ていると真後ろから新体操部と兼部している安座上先輩に声をかけられた。アクション部の出席率が一番低い人だ。あまりよく知らない。一対一で話すのは初めてだ。話してみたいと思ってた。新入生歓迎会でヒーロー役をやった人だったから。
「あたしは見学です」
「体調悪いの?」
「元気です!」
「いいことだね」
想像より気さくな人だ。もっとクールで口数もないのかと思っていた。
「見てるだけじゃつまんないでしょ。逆立ちでもしようよ。気持ちいいぜ」
逆立ちって気持ちがいいものなんだ。知らなかった。
「逆立ちできないです」
「補助倒立は?」
「ほ……?」
「しっかり支えてあげるよ」
どういう動きなのかわからなかったけどきっとできるわけがない。マット運動は全滅のはずだ。
「でんぐり返しもできないんでそれも無理だと思います」
「え⁉ でんぐり返しできないってどういうこと⁉」
「途中で止まっちゃうんです。回りきらないで」
「はぁ〜〜〜あ……!」
安座上先輩は驚きの溜息からひらめきの感嘆詞を吐いた。
「教えてあげようか?」
「でも、本当にあたし運動音痴ですよ? 体育の先生に教えてもらっても今まで一度も……」
「任せてよ。これでもエースだから。でんぐり返しできないと転んだだけで怪我する確率が上がるよ」
「そうですよね……」
転べばそのまま真っ直ぐ地面に叩き落ちるのでおでこや膝から出血する。昔からそう。よく傷が残らずに済んでいるもんだ。
「一回やって見せて」
「は、はい!」
安座上先輩自身は気さくな人だけど会話していると軍隊に入ったような気分になる。体育会系の空気に中てられているのかな。
でんぐり返しにチャレンジするのは久々だ。空いているマットの端にしゃがんで両手をマットに触れた。
これからどうすればいいんだっけ? 頭を付ける? そんなことしたら首が折れない? 転がって逆さまになる想像をして怖くなった。身動きが取れなくなる。
「長山さん」
さっきまで他の部員と話していた部長が私と安座上先輩の間に入った。私の目線に合わせて屈む。
「長山さん、無理しないで大丈夫だよ」
「おい! 邪魔しないでよ!」
安座上先輩は部長にすごむ。部長は引き下がらずにいさめた。
「俺には強引にやらせてるように見えた」
「強引⁉ やってくれってお願いしたんだろうが!」
「お前のお願いは高圧的だ」
「にゃにい~⁉」
和気藹々としていた部員たちが二人に注目した。これはいけない。
「あの! あたしは大丈夫ですので! でんぐり返ししまぁす!」
小さい時は怖がらず挑戦してた。転がることくらいできるはずだ。大丈夫。
八人の視線が私に集まる。部長が心配そうに見ていた。深呼吸をして頭をマットに付けて力いっぱい転がった。それでも勢いが足りず起き上がれない。お尻が重い。空はきれい。
「本当にできないんだね……」
上から安座上先輩が私を覗き込む。他の部員たちは未完成のでんぐり返しを披露されて困っている。それが痛いほどわかる。恥ずかしくて恥ずかしくて爆発しそうだ。帰りたい。涙が出てしまう。
「ゆりかごはできる?」
「……ゆりかご? 赤ちゃんのですか?」
「見てな」
まだ続けるのか。安座上先輩はマットの上で体育座りする。後ろに倒れたかと思えばおきあがりこぼしみたいに元に戻った。
「これができるかできないかででんぐり返しの上達の道はかなり違うと思うんだよね。ね、部長ちゃん」
「えっ、あ、あぁ。これできればしっかり背中丸めて腹に力入れられてると思うし……」
「長山さん、やってみて!」
「あ、頭ぶつけませんか⁉」
「打ち付けろとは言っていない!」
「マットの上だし大丈夫だよ。背中から転がるイメージで」
安座上先輩と部長の叱咤激励からは逃げられない。言われた通りにやるしかなかった。
勇気を出して後ろに転がる。やっぱり起き上がれない。
「勢いが足りなーい!」
「高さが出て怖いかもしれないけど踵上げてみよう。勢いが出て回れるよ」
「は、はいっ」
アドバイスをもらって何度かごろごろするうちに少しずつ起き上がれるようになった。
「できる気がしてきました……!」
「絶対できるから! 家でも続けて。起き上がれるようになるまで。でんぐり返しはそれからだよ。トイレ行ってくる」
荷物を持って安座上先輩は校舎へ戻ってしまった。
「勝手な奴……」
部長が呟くと同時にチャイムが鳴った。部活が終わる時間になっていた。
「終わる間際に帰るとか」
「片付けが面倒なんだろ。いつも遅刻してくるのも準備したくないからだよ」
「それでいて誰より動けるからヒーロー役なのずるいよなぁ」
マットを倉庫へ運びながら先輩たちは口々に安座上先輩への不満を口にした。
「長山さん。ごめんな」
帰り際、部長は私に謝った。どのことについてだかわからなかった。
とぼとぼ家路に就くと小学校の同窓会の連絡が届いていた。五、六年の担任の先生からだった。
案内状には秋西君の名前も書いてある。幹事ってやつなのか、まとめ役をやるらしい。彼がどこの高校でどうしているのか一切わからない。元気でいるんだな。
行ったらきっと伊織ちゃんに会える。伊織ちゃんに会いたい。高校生になった伊織ちゃんを見たい。個人情報を紛失したことをきちんと詫びたい。共有できた時間を懐かしんだりお互いの近況を伝え合いたい。
「伊織ちゃん……あたし、でんぐり返し教えてもらうことになったんだよ……」
座椅子になるビーズクッションに倒れ込んで天井に呟いた。
ご飯を食べて宿題してお風呂に入った。布団を敷いてゆりかごの練習をするとすぐ眠くなった。どうか筋肉痛になりませんように。