スプリング・スプリング・スプリング #15
学校から帰ると居間のクーラーがガンガンに効いていた。着替えずそのまま涼んでると母にお使いを頼まれた。
「帰って来て早々悪いんだけど長山のおばあちゃんちにこれ持って行ってくれる?」
渡された紙袋には父方の祖母が好きそうな抹茶のお菓子が入っていた。
「いいよ。真田の家とか佐己小さんには?」
「渡したよ。向かってたんだけど途中でくらっとして長山の家には寄らないで帰ってきちゃった」
「えぇ〜⁉ 大丈夫なの⁉」
「大丈夫大丈夫。水飲んでちょっとお昼寝して回復したよ」
「最近本当暑いもんなぁ」
「疲れが残ってたのかも」
昨日、母は趣味である日帰りのバスツアーへ行っていた。学生時代の友達とはしゃいだようだ。
いつもお土産を多く抱えて帰ってくる。出かける先々のお土産屋で様々な物を見てると様々な人を思い出すらしい。好きそうだとか似合いそうだとか考えながらお土産を買うのが大好きなのだと言っていた。私もその思考を受け継いでいる。
「もしご飯食べていくように言われても帰ってきて。今日は里芋煮るから」
「やった‼」
「帽子被るか日傘差してってね」
「はーい!」
玄関の帽子掛けから麦わら帽子を取る。制服とは合わないかも。
菓子折りが入った紙袋を持って家を出た。歩いて行ける距離だし、もしかしたらこのお菓子やお小遣いをもらえるかもしれない。喜んで向かった。
十数分後、じんわり汗をかきながら祖父母の家に着いた。インターホンを押してカメラに挨拶する。
「こんにちは! 祝です!」
『はーい。どうぞ入って』
祖母の声ではなかった。祖父でも叔父でもない。
「祝ちゃん……!」
「え〜〜〜⁉」
出迎えてくれたのは去年の秋に九州へお嫁に行ってしまった叔母だった。会うのは結婚式以来だ。
「実和ちゃん! 久しぶり! 元気だった⁉ 髪短くなってる〜!」
「元気だよ! 祝ちゃんも元気だ! 高校生になったんだね」
麦わら帽子を外してくるっと回って制服姿を見せてみた。着替えてこなくて良かった。
「キュロットなんだ。珍しいね。かわいい」
「あたし、あんまりスカート向いてないからね。スラックスと迷ったんだ」
「へぇ! 選べるの⁉」
「うん。女子も男子もスカートとスラックスとキュロットから好きなの選べるよ」
「いいなぁ」
「お小遣い貯めて冬はスラックスにするの」
「暖かくしなきゃね。私の高校は今もまだ女子はスカート一択だろうな。色々古い学校だったから」
玄関で私の近況報告で盛り上がっていると祖母が二階から降りてきた。掃除をしていたようだ。母から預かったお菓子を祖母に渡すと大層喜んだ。祖母が言うには抹茶は魔法の味らしい。
冷えたお茶と合わせて三人でいただいた。美味しさと再会の嬉しさで私の気分は上がっていた。
「そういえば祝ちゃん、佐己小さんに会ってる? 元気かな?」
「しょっちゅう会いに行ってる! 元気だよ。実和ちゃんも佐己小さん好きだよねぇ」
「そうだね。悪いとは思ってるけど佐己小さんには色々と聞いてもらいたくなっちゃうんだよね」
「わかる!」
「明日にでも会いに行こうかなぁ」
三十分くらい居座ったと思う。母の予想通り、夕飯を食べるように言われたけど頑張って断った。
「もっとゆっくりしてけばいいのにぃ」
「実和ちゃんはいつまでこっちにいるの? すぐ帰っちゃう?」
「んー……一週間くらいかな?」
「じゃあ、また来る!」
「来て! いっぱい話そう!」
帰りに九州のお土産とお小遣いをもらった。スラックス代の足しにって。ありがたい。
「遅かったね」
「おばあちゃん、お菓子喜んでたよ! ありがとうって!」
家に帰って任務遂行の報告を母にした。台所は醤油のいい匂いで満ちている。
「これ! 実和ちゃんがくれたお土産!」
「実和ちゃん? 帰ってるの?」
「うん。一週間くらいいるって言ってた。痩せたみたいだけど元気だったよ。髪も切って素敵だった」
小鍋を覗けば私の大好きな里芋がぐつぐつと音を立てている。早く食べたい。
「どうしてって言ってた?」
「え? 帰ってきた理由? 知らない」
「旦那さんも一緒だったの?」
「実和ちゃんだけ」
「そう」
「なんで?」
「……」
「え⁉」
母の反応でようやく異常を察知できた。
「も、もしかして実家に帰らせていただきますってやつだった⁉」
「わからないよ」
「喧嘩したのかな⁉ あ! こっちの友達の結婚式に出るとか⁉ ただ単に時間ができて久々にゆっくりしてきなよ〜とか⁉ あり得る⁉」
「わからないってば……」
胸がバクバクした。あんなに和やかだったのに。私がそうだと思ってただけか。察しが悪い姪にあきれただろうか。祖母も孫娘が変なタイミングでやって来たと思ったかもしれない。
きっと余計なことだけど真相を確かめたくて次の日は学校から祖母の家へ直接行った。追い出されるかもしれない。だけど祖母はいつものように迎え入れてくれた。
叔母は客間で座布団を枕に昼寝をしていた。気持ち良さそうで起こせない。
祖母がお茶と硬いおかきを出してくれて居間で食べた。
「朝から散歩したみたいよ。佐己小さんのところも行ったんでしょうね」
「そっかぁ」
「祝」
「はい?」
「いつも通りでいいからね」
「はい」
余計なことは言うなということなのだろうか。理解できずに返事してしまった。
叔母が起きるまでテレビを見ながらボリボリおかきをかじっていた。手が止まらない。お腹がいっぱいになって眠くなる。気づけば祖母も眠りこけている。ここは寝坊助ばかりだ。
ピンポーンと目が覚める音が鳴った。来客だ。二人とも起きる様子がないので私が出ることにした。
「はーい!」
相手が誰か確認せず玄関の鍵を開けるのは小さい時の悪い癖だった。最近はすっかりそんなことないのにどうしてかやってしまった。
扉の外に男の人が立っている。そんなに背は高くない。日焼けしてて筋肉がある。サーファーみたい。大きな荷物を一つ持っている。誰だっけ。絶対に会ったことがあるんだけどわからない。雰囲気が違ったと思う。もっとかしこまった格好をしていた気がする。
「あー……! ちょっと、待っててください!」
「あぁ、はい……」
何者かわかっても家に上げていい相手なのか判断できなかった。大きな音を立てずにゆっくりサムターン錠を閉めた。ちなみに私はホームセンターなどのドアノブ売り場が大好きである。
相手も私が誰だかわかってない様子だった。そりゃそうだ。一、二回しか会ってないもん。
居間にいる祖母の肩を揺する。次に客間の叔母を起こす。
「実和ちゃん、起きて。実和ちゃん」
「んー? 祝ちゃん……? 遊びに来たのぉ?」
「旦那さんが来たよ」
「えっ……そうか……」
叔母は寝起きの頭を働かせる。起き上がって体を伸ばした。腕には畳の跡が付いている。
「ここに呼んでもいい?」
「うん。お願い」
「寝癖すごいよ」
「髪切ってからいつもこうなの」
叔母は跳ねる短い髪を撫でつけた。
面会の許可が出なければ私は追い出す覚悟だったけど叔母の旦那さんを客間へ通した。
祖母が二人に冷たいお茶を用意していた。慌てたりイライラしたりする様子はない。私を出迎えてくれた時と同じようだった。
「祝、持ってってあげて」
「あたしぃ⁉」
緊張しながら慎重にお盆でお茶を運ぶ。客間の襖の前で立ち止まる。和室ってノックするんだっけ? どうやって入ればいい⁉ 普段、両親はどうやって私の部屋に入って来るんだっけ⁉
「向こうで二人で暮らそう」
迷ってるうちに旦那さんがそう言ったのがしっかり聞こえた。どうしよう。聞いてはいけない話なんじゃないか。でも頼まれたのに引き返すのも嫌だ。とりあえず呼びかけよう。
「し、失礼します‼」
「はーい。どうぞ」
実和ちゃんの返事が来る。襖を開けると二人とも意外とくつろいだ顔をしていた。修羅場にはなっていない。
「お茶です……」
「祝ちゃん、ありがとう」
「ありがとう。いただきますね」
「あ……いえ! ごゆっくり~」
逃げるように居間へ戻ると祖母は出前のメニューを広げて眺めていた。
「祝、今日はお夕飯食べてく? お寿司でも頼もうかね」
「もう帰るよぉ」
「えー? お寿司は? おじいちゃんも昨日会いたがってたんだよ」
「お寿司は食べたいですけど居づらいよ~旦那さんもあたしがいたら気まずいんじゃない?」
「そうかねぇ」
祖母はお小遣いをくれた。来てくれて助かったと言っていた。母が好きそうな硬いおかきも三袋ももらって私は自分の家へ帰った。