スプリング・スプリング・スプリング #19
同窓会は私たちがかつて過ごした六年二組の教室で行われた。ホテルで立派に開くのもいいけど低予算で質素な会も素敵だと思う。思い出の場所だもん。話も盛り上がりそうだ。
私が教室に着いた頃には十人くらいの元クラスメイトたちが集まっていた。
「チョウサンだよね⁉」
最初に声をかけてくれたのはそこそこ仲が良かったシンデンだった。この子とは何度も同じクラスになった。出席番号も近い。
「チョウサンだ! チョウサン! チョウサンなんか変わった?」
「大人っぽくなった?」
「いや。違うな」
「……髪伸ばしたからかな?」
「そうかも! 小学生の頃は短かったよね? でも、それ以外はあんまり変わってないみたいで安心したなぁ」
私をチョウサンと呼ぶのはシンデンだけだ。初めて会った時に読み間違えられてからずっとそのままの呼び方をしてくる。いい加減なところが彼女の長所で短所だ。見た目は大人になったけどそういうところはシンデンも変わっていないようで安心した。
次々と集まって開始時刻になり、秋西君の挨拶で同窓会はスタートした。先生が乾杯の音頭をとって食事と歓談を楽しんだ。高校生に成長したみんなは知らない人だったけど面影はあってすぐに誰だかわかる。
「伊織ちゃんが来るかどうか知ってる?」
親しかった女子数名に尋ねてみた。誰も知らない。連絡を取り合ってる子もいなかった。
伊織ちゃんは遅れて来るかもしれない。そう期待して私は教室の後ろの出入口で飲み物を飲んでいた。
ランドセルを入れるロッカーの上に小さく古い木の本棚がある。多分、私たちの代からあったものだ。懐かしい。本棚にはボロボロの本も新しい本もある。その中に見覚えのある本が一冊あった。
源氏物語の本。昔に借りたものだ。表紙の絵がきれいだったから夏休みの読書感想文に選んだんだ。懐かしい。
借りたはいいけど時代背景を全く知らないし、小学生向けに現代語訳されていても私には難しかった。登場人物も多い。佐己小さんに助けを求め、大まかに解説してもらって感想文を完成させた。本当に大変だった。
六条御息所を中心にあれこれ書いた記憶がよみがえる。小学生の私は生霊を飛ばす六条御息所を恐れた。生霊という言葉との出会いだった。生きてるくせに霊になることが理解できなかった。それに突然物語のジャンルが変わって混乱したのをはっきり思い出した。
でも今は同情する。かっこいい変な男に好かれて飽きられて。確か源氏の君の正妻ともトラブルがあってプライドがズタズタになってしまった。かわいそうな人だ。
「チョウサン! 一人で何してるの? ピザが来たってよ」
同窓会を満喫しているシンデンにも尋ねてみる。
「ねぇ、伊織ちゃんが今日欠席か途中からでも来るかわかる?」
「知らないよ。チョウサンが伊織と一番仲良かったのに、なんで?」
胸が苦しい。そうだよ。一番の親友だった。
「……連絡先教えてもらったけどわからなくなっちゃって」
「ふーん。東北か九州に行ったんだっけ?」
「え?」
「遠くに引っ越しちゃったよねぇ」
「え⁉ 遠く?」
「小学校卒業の後に引っ越して、またすぐにどっか引っ越したでしょ?」
「知らない! 伊織ちゃん二回も引っ越したの⁉ どこに⁉ 東北と九州って全然違うじゃんかぁ!」
「福島か福岡に行くことになるかもって言ってたよ。よく覚えてない」
「いつの話⁉」
「中学入ってすぐだったかな? 五月とか六月? どこだっけ? どっかで偶然、伊織と会ったんだよ。親の都合とか言ってたような。急な話で困ってた気がする」
「他に何か言ってなかった⁉」
「覚えてないってば。私も用事があったし、またねってすぐ別れちゃったよ」
「そんなぁ……」
電車一本で会える距離にいるもんだと思ってたら福島か福岡だなんて。この子の言うことだし福井かもしれない。伊織ちゃんの両親の実家もわからない。
「チョウサン、伊織が引っ越したことさえ知らなかったんだね」
「…………」
「今日は予定合わなかっただけかもね。福島にしても福岡にしても遠いから。伊織もチョウサンに会いたいって。先生か秋西に訊いてみれば? 住所知ってるかもよ」
「……そうしてみるね」
あのシンデンに気遣ってもらってしまった。彼女の言う通り教えてもらおう。先生か秋西君なら先生だ。
たまたま駅前で先生と秋西君が会って同窓会をやろうって話になったらしい。行動的な先生が学校側に掛け合ってくれたおかげで教室を借りられている。
この先生は昔からポジティブでアグレッシブな人だった。遭難した時に役に立つからって泳ぐどころか浮くこともできなかった私に背泳ぎを根気強く教えてくれた。おかげでちょっと進むようになったのだ。
まだ残っていた冷めたピザを一ピースもらって食べた。それからトイレへ行った。その後、伊織ちゃんのことを先生に訊いてみよう。きっと手がかりがあるはずだ。
教室には大きな変化を感じなかったけど、女子トイレは床も壁も扉も新しく明るい色になっていた。鏡に水垢がない。全体的に清潔感があっていい。私がトイレに行こうとすると伊織ちゃんはよく一緒に来たっけ。
いつかのことを思い出しながらトイレを出るとほぼ同時に男子トイレから出てきた人がいた。
「あ、秋西君……」
ただのかっこいい人と目が合った。目鼻立ちははっきりしているのにどこか甘い雰囲気を放っている。私はちょっとつり目だから丸い印象の目元が羨ましい。
それに背が高いこと。ひので君より高いけど真生君には勝てない。一七〇後半かな。文句ないよ。この人、いわちゃんの恋人だったんだなぁ。
トイレから教室に戻る短い間、秋西君と話した。中学の三年間なんてなかったように話すもんだ。あまりにも話しやすくて私はつい伊織ちゃんのことを訊いてしまった。彼とは一言も話さないといわちゃんに宣言したにもかかわらず。
伊織ちゃんは五人いる現住所不明組の一人だと教えてくれた。小学校を卒業して引っ越した住所に先生が送ったお知らせは伊織ちゃんに届かなかった。同窓会が今日開かれていることも知らず本当に福島か福岡にいるのだろうか。はたまた福井か。
教室に入ると秋西君はすぐに囲まれた。高校では野球を続けていないことや同じ学校に彼女がいることを小耳に挟んだ。さっきまでの秋西君はいなくなってしまったようだ。
「二次会のカラオケ、チョウサンも行く?」
「あたしは帰るよ。明日、学校早いんだ」
「じゃあ連絡先交換しよう。遊ぼうよ」
「うん!」
私も連絡先を知っておきたかった。シンデンと再会できて良かったと思えたんだ。だけどやっぱ私の気持ちはそれだけじゃ満足できなかった。
「秋西君、同窓会でも女の子に囲まれてたよ。憎たらしいね」
この日のことをいわちゃんに話してしまった。言うつもりなかったことまでペラペラと。秋西君に対して悪態をついた。こんなこと言われてもいわちゃんは困っちゃうのに。
「憎たらしいの?」
「引っ越しちゃった子もね、昔、秋西君が好きだったんだ。あたしといるのに秋西君の話するんだもん。嫌だった。その上、いわちゃんの元彼だし。何もかも気に食わない。大嫌い」
自分から自然に飛び出てきた強い言葉にびっくりした。自分の声が耳に残る。「大嫌い」だって。
「あーーー! ……初めて人のこと嫌いって声に出して言っちゃった。悪口言うんだ……あたしって……」
いつも佐己小さんには色々聞いてもらってるけど、それは悪口ではなく愚痴だ。私の事情でそれとこれとは別の話なのだ。
別にいい人ぶるつもりはないけど親や先生の言うことをできる範囲で守ってきた。悪口はいけない。なるべく言わないように過ごしている。優等生じゃないなりにいい子になろうと思ってた。
誰かを苦手だ嫌いだと思ってしまうのはどうしようもない。だけど言葉にすると自分の中で私はこの人が嫌いなんだって印象深く根付いてしまう。誰かのことを嫌いだと口に出すと、私にも相手にも悪い魔法がかかってしまいそうで怖い。
それなのに無意識に秋西君のことを嫌いと発言してしまった。そんな力あるわけないけど私の負の気持ちが風に乗って秋西君の肩に降りそうな気がした。
「別にそれくらいいいじゃん。本人が聞いてるわけでもないし」
こんな私の心中を知らないいわちゃんは簡単に言ってくれる。
「他人事だと思ってるでしょ!」
「思ってない。私は長山さんの味方だし、むしろ同じ気持ちだよ」
「同じ?」
「私も秋西、大嫌い」それはもう爽やかに言い放った。「もっと早くに言えてたら違ったかも」
いわちゃんはすっきりした顔をする。悪いモノを払い落したようだった。
私のいわちゃんへの疑念は晴れない。嫉みが妬みになってしまった。