君よ動けるならば #07
もう夏だってのに高砂君が学ランを着てきた。全身が黒い。それでも汗一つかいていないようだ。いつものように微笑んでいる。
花ちゃんがどうして冬服を着ているのか、暑くないのかと尋ねると彼は「間違えて着てきちゃった」と言うだけだった。
今日は天気がよくて公園を歩いているだけでうっすら汗をかく。
ここは公園と名前に付いてるけど見た目は河川敷でいつ来ても誰かしら散歩している。よく二人で遊んでる小さい公園とは比にならない広さだ。
花ちゃんから聞く話だと相変わらず高砂君は野草を食べているみたいだし、寝転んで地面に向かって話しかけたり、空をじっと見たり不思議な行動は続いているらしい。
「最近の花ちゃんは高砂君の話ばっかりだね。高砂君のこと好きになっちゃったの?」
花ちゃんは短く唸る。
「柴は気にならないの? 変なことばっかしてるじゃん。目立つと思うんだよね」
「まぁ、花ちゃんが話すから確かに僕も気になってきたよ」
「でしょ? 他の子に話してもおもしろい子だよねってそれだけなんだもん。変だと思うのが私だけなのかなって不安になる」
僕の冷やかしは流されてしまった。別におちょくって困らせたりするつもりはなかったんだけど。本当に知りたかったから。
数歩先を歩いている花ちゃんの後ろで束ねた短い髪が揺れる。
「柴は好きな子がいるの?」
「ん?」
花ちゃんは振り返り、話も戻って返されたので少し慌てた。
「なんて子だっけ。五年生の時に柴と同じクラスだった……髪が長くて前髪がそろってる子?」
「誰のこと? なんの話?」
足が止まった。前から自転車が来たので二人で道の端に寄る。そのまま公園を出た。
「小学校卒業と同時にどっかに引っ越しちゃった子いたでしょ」
あぁ、確かにいた。一緒に学級委員をやっていた女子だ。その子がなんだと言いたいんだろう。
「あの子のことが今でも好きなの?」
「今でも? 好きだった時なんてないよ。その子のこと忘れてたくらいだし……花ちゃんの中ではどういう経緯でそんなことになってるの?」
花ちゃんは不思議そうに僕の顔を見るけど僕だって何がどうなってるのかわからない。
「その子に花茶屋さんは柴又君とどういう仲なの? って訊かれたことがあった。言い方が怒ってるみたいで怖かったな……」
「え……」
「家が近いって言っても信じてくれなくて困ってたら、あやめちゃんが助けに来てくれたんだ」
あやめちゃんというのは花ちゃんの小学生の頃からの友達で彼女を手芸部へ誘った当人だ。常に花ちゃんを引っ張ってくれるいい人。
「あやめちゃんが言うには、あの子は柴を独り占めしたいから仲良くしている女の子が気に食わないんだって。他にも絡まれてる子いたって。気にすることないって言われたからそうしてた」
「ちょっとは気にしてほしかったな」
水面下でそんなことがあったとは。当時の僕は何も知らずのん気に過ごしていた。単純に興味がなかった。だけど周囲ではそういう話題が盛んになって、男子の間では格好のからかいの対象だった。僕が花ちゃんに話しかけると囃し立てる子もいた。勝手に推測して決めつけて、くだらない。最初は本当にそう思っていた。途中から気にしていない風を装うようにしたら飽きたのかあまり言われなくなった。
バレンタインのチョコだって誰からもいらなかった。お返しのためにどれを誰からもらったのかしっかり者の母に伝えないといけなかった。兄たちはもらった個数を自慢するように報告していた。「好きな子からもらえた?」と楽しそうにしているのも嫌だった。放っておいてほしい。
誰かを好きになったなら黙っていればいい。共有する必要ないのに話してしまいたくなるものなのかな。誰かの好きな人なんて知る必要ない。聞き出すのは無神経だ。それなのにどうして僕はさっきそれを花ちゃんにしてしまったのだろう。
そして僕は間違った情報が広まるのも許せない。
「僕はその子のこと好きになってない。花ちゃんの勘違いです」
「そうだったか……勝手に両思いにしてた……」
僕は引っ越してしまった女の子を想い続けるような一途な男ではない。目の前のことで精一杯なんだ。
そのままいつもの通学路に入る。気づけば夕方になっていた。暑さは変わらないけど風が出てきて気持ちがいい。
「柴は誰かを独り占めしたいと思ったことある?」
「んー……小さい頃、お母さんに構ってほしかったかな。うち家族多いからさ」
「え? それは恋愛ではないよね?」
「もちろんだよ」
「恋愛でそう思うことはない?」
「僕、まだ、誰かをそういう好きになったことないんだ」
「そうなの⁉ そっか。意外だ」
「意外なの?」
「柴はなんでも知ってるから」
そんなことないのに。ずっとわからないことだらけだ。
「私も好きな人いないの。あやめちゃんは初恋を楽しみに待つといいよって言ってた。いつか私が恋愛をしたいと思ったら、きっと素敵な人と出会えるよって。ちょっと信じられないけど、あやめちゃんの言うことはそうかもって思える」
僕は男友達とこういった、個人の恋愛の話をしたことが一度もない。同い年なのに堀切さんは随分と達観しているようだ。
「でも、そうか……あやめちゃんが独り占めしたくなるってのが恋だって言っていたからそういうものなのだと思ってた。家族間でもありえる感情なのか」
「恋って独占欲や嫉妬だけじゃないんだと思うよ」
「なるほど。複雑なんだ。それじゃ、私が高砂君を気にするのも好きだからという可能性があるのかな」
強めの風が吹いて僕の頬から顎にかけて汗が流れ落ちた。