君よ動けるならば #15
「柴、いつから気づいてた?」
高砂君の姿が見えなくなると遠くを見つめて花ちゃんは呟いた。
「何に?」
「私がここの人間じゃないって気づいてたんでしょ? いつから? 私ってそんなに馴染めてなかった?」
「……だって」
あの時すごい音がした。ドラム缶のような土管が地面に埋め込んでいた。花ちゃんは裸でボロボロだった。言葉も拙い。知らないことがあまりにも多くて今まで別の世界で生きてた人なんだろうと思った。
「裸……そうだったね……」
花ちゃんは真っ赤になって自分の髪を撫でる。僕も申し訳なくなる。そこら辺の記憶はもうしっかりぼやけているから安心してほしいなんてのはおかしな話だろうか。
「でも、それで私をおかしいって思ってたんでしょ? なんで何も言わなかったの? 柴のお母さんや学校の先生は色んなこと訊いてきて……困ったのに……」
「言いたくない悲しいことがあったんだろうなって思ったから。訊けなかったよ」
「気遣いがすごいな……でも、そっか。私のこと変だって思ってたんだね、ずっと。はぁ……なぁんだ……気づいてたんだ……」
知ってはいけないことを知った人間はどうなるか。向き合わなくてはいけない。受け入れなくてはいけない。
「……僕の記憶も消す?」
「うーん……そうだなぁ。どうしてほしい?」
花ちゃんが婉然として微笑んだ。女子の声はもう大人なんだと感じた。花ちゃんに接する際、たまに弟と妹を思い出すこともあったけどそんな余裕はもうない。
僕が何も答えられないでいると花ちゃんは後頭部を触って申し訳なさそうに口を動かす。
「いや、冗談。消すと言うより捏造するって言った方が正しいんだよね。流石に年単位の記憶はいじったことないからどうなるかわからないし。大丈夫、柴の記憶は柴のものだよ」
怖がらせてごめんね、と小さい声で言う。僕が怖がっているように見えたらしい。
「それに、柴に知られてちょっと安心だよ」
「そうなの?」
「自分がここの人間じゃないってことも忘れかけてたけど、ずっと気持ちのどっかが不安だった。いつかバレちゃうかもって。反対に、柴に言っちゃいたい気持ちもあった。知られたら知られたでこうして新しい不安が出てきちゃうんだけど、知っててほしかった」
「……」
「柴に嘘をつきたくないって思ったの」
彼女の誠実さが嬉しかった。花ちゃんのことを一つ知ると僕は一つ安心する。
「柴は柴だから、柴のしたいようにすればいいはずだけど……私は行かないでほしい。行っちゃうんだろうな。そしたら戻ってこないね」
「そんなことないよ」
「あるよ。小学生の頃、博物館で迷子になってた。覚えてる」
小学五年の校外授業で博物館へ行った。僕が展示物の説明文をじっくり読んでいる間に班どころか全クラスに置いてけぼりを食らったことがある。懐かしい。
「あれはちょっとした事件だったんだよ。先生なんてさ、慌てちゃって他のクラスの先生に落ち着くよう叱られてた」
「初めての博物館だったからね。ちょっと羽目を外しちゃったんだよなぁ。僕が班長だったのに……花ちゃんは元居た場所に帰りたいって思わないの?」
「捨てられたから思わないよ」
「捨てられた……⁉」
「うちではよくあることだよ。いらない子は捨てるの。子供はたくさんいるから」
「そんな……ひどい……」
「私はやっと居場所を作れたと思うからまた一から知らないところでやり直すのは嫌。一人は怖い」
一人は怖い。僕も博物館でそう思った。展示物から目を離すと見知った顔は皆無だった。周りにはたくさん人がいるのに一瞬だけ一人になった。でも不安な気持ちになりかけたところですぐに見つけてもらえたんだ。
「僕がいるよ」
花ちゃんがもう二度と怖い思いをしないようにそばにいたい。さびしい思いもさせたくない。
「どこにいてもずっと一緒にいよう。もちろん花ちゃんが良ければだけど」
「……だから一緒に宇宙へ行こうって?」
眉間に皺を寄せて僕を睨んだ。泣かれても参るけどそんな怖い顔もしないでほしい。
「きっと私を置いてどっか先に行っちゃうよ」
「なんで? 博物館の話なら、むしろ僕は置き去りにされた側だけど」
「柴は興味のあることにしか興味がないでしょ」
そんなのみんなそうじゃないか、と言いかけた。でも止めた。
「じゃあさ、花ちゃんが僕を呼び戻してよ。あの時みたいに」
あの時、博物館の出口で点呼を取ったら僕だけいないことが発覚した時。先生たちが手分けして探してくれたけど、入口から一番近い第一展示室にまだいた僕を連れ戻したのは花ちゃんだった。
「なんせ宇宙に行ったことないしさ。勝手を知ってる人は多い方が絶対にいいって。そっちじゃないよ、こっちだよって誘導してよ」
「私の呼びかけが柴の冒険心に勝てる気がしないよ」
「花ちゃんなら大丈夫」
僕は遠くの空へ行きたい。でも君の声にも耳を傾ける。どちらにも関心があるから。
「さっきみたいな大きい声で僕を呼んでよ」
「柴はわがままだ」
「初めて言われた」
「思いやりの人だと思ったのに」
「幻滅した?」
「わかんない……」
わがまま。家族や学校の先生や友達、誰にも言われたことがなかった。欲しいものがあっても欲しいと大きな声で主張はしない。だって誰もくれない。僕は手に入れるためなら辛抱強くいられる人間なのかもしれない。
「柴、なんで嬉しそうなんだ」
「なんでかな」
気持ちが軽くなって僕は望遠鏡を撫でた。色々知れた。知ることは気持ちがいい。高砂君も似たようなことを言っていた。知ったと同時に別の疑問が生まれることもある。現に問題だらけで何も解決できていない。今はいい。置いておこう。
「花ちゃん、英語の宿題まだ残ってたよね。明日終わらそう」
「え⁉ 英語⁉ う、うん……」
「僕たちは夏休みの前にまず宿題とテストをやっつけないといけないよ」
「そうだけど……そうなんだけど、柴、リアリストだなぁ……」
「それも初めて言われた」
今はこうだったらいいのにって考えている。
僕が天才だったら。部活の日がいつも晴れだったら。テストが簡単だったら。高砂君ともっと仲のいい友達になれたら。花ちゃんが僕を好きになってくれたら。
楽しい夏休みになりますように。もちろん努力はします。また今度神社でお願いをしようと僕は決めた。