情熱冷めるまで #03

 あれからほぼ毎日のように深川君に会いにプレハブ小屋へ行った。もちろん課題曲の自主練をした後に。特別なことはしない。話すだけ。ただ楽しかった。もうノックすることなく自然とプレハブ小屋に入る。
 だけど今日はまだ深川君が来ていない。プレハブに来ない日や遅れる日は事前に教えてくれる。何かあったのかな。
 どうしようか辺りをうろうろしていると明るい声が僕を呼んだ。振り向くと深川君が女の人と一緒にダンボールを持ってこちらへやって来た。
「日直だってんで手伝わされたんだ」
「使わせてあげてるんだから文句言わないで手伝ってよ」
 彼が不満そうに言うと女性も不満気に言う。きっと美術科の先生だろう。ショートヘアで眼鏡をかけている。先生もダンボールを両手で持っていて右手には鍵を握っているのが見えた。
「ダンボール僕が代わります」
 そう言って先生から箱を受け取って先に鍵を開けてもらった。ダンボールは特別重くはないけど教室から持ってきたのなら女の人には大変かもしれない。
「ありがとう。音楽科なんだね」
「はい」
 先生は僕のリボンタイを見ていた。
「深川君のお友達?」
「そうですよ。めちゃくちゃ歌が上手いんだよね」
 床にダンボールを置いた深川君は僕の顔を見て同意を求めてきた。自分で上手いですとは言えない。
「いいねぇ。美術科にも音楽の授業あったら楽しいよね。クラスで合唱とかやってみてほしいなぁ」
「そうなるとなんの授業が犠牲になります? 体育?」
「どうして減らすの? 一コマ増やすんだよ」
「げーーー……」
 当たり前だけどプレハブ小屋は深川君と僕の場所ではない。学校の、美術科の場所だと思い知った。
「音楽科の子は美術やりたいなーって思ったりしない?」
「え⁉ ええ、絵、描くの楽しそうです!」
「どんどん描いてみて! 深川君も描いてるんでしょ? ここで一緒に描けばいいじゃない」
「はい」
「深川君には何回も言ったんだけど、たくさん友達集めて溜まり場にしないでね。狭いしそんなに入んないと思うけど他科生たちのちょっとした交友の場くらいに留めておいて。それと勝手に物を増やしたり減らしたりしないこと」
「はい……」
「公序良俗違反に当たる行為が発覚したら使用禁止なので覚えておいて」
 最後に「きちんと鍵返しといてね」と言って先生は美術科の校舎へ戻った。

 いつものように二人になる。
「あの人、担任。生徒をこき使うのが上手い。ごくたま~に備品のチェックに来る」
「そうなんですね……ちょっと緊張した……」
 深川君はホワイトボードの足元に置いてあるトースターを出してコンセントにプラグを挿した。トートバッグから食パンを二枚出して焼き始める。
「好みのタイプだった?」
「違います! 深川君、それ! 元々ここにあった物じゃないんでしょ? 持ち込んでるじゃないですか! 先生の言う公序良俗違反ですよ!」
「おー」
 悪びれた様子が一切ない。
「見つかったらここ使わせてもらえないんですよ⁉」
「見つからないようにしてるし見つかんなかったじゃん」
「でも」
「悪行が許せないならちくってもいいよ」
「しませんよ……」
 そんなつもりない。僕だってトースターの存在を知られたくない。ここにいられなくなる。
 やがてパンが焼けて一枚差し出される。これは悪のパンだ。いい香りがする。
「ほいよ」
「あ、ありがとう……」
「いただきまーす」
「……いただきます」
 一口かじる。深川君の持ってる食パンはバターがたっぷり使われているわけではないけど放課後のお腹にトーストされた香ばしさと食感はたまらない。二口目を食べるとにたにた笑いながら深川君が僕を見ているのに気がついた。
「何……?」
「共犯だ」
「そうですね……」
 どんどんパンを食べ進めた。どうせ元には戻らない。秘密と一緒に全部飲み込んだ。トースターが見つからなければいいだけの話だ。もっと隠し方を工夫しなくてはいけない。
 食べ物を扱う物だしそれなりの大きさのあるものをこのまま床に置きっぱなしはまずい。今度きれいなダンボールを探そう。ここはダンボールだらけだし木を隠すなら森の中だ。僕たちがわかる印でもつければ簡単にはバレないだろう。
 プレハブ小屋を深川君から取り上げたくない。絵を描いたり、宿題に悩んだり、僕と話す場所はここであってほしい。
「もし追い出されたらどっかちゃんとした教室借りるか。そしたらお前もそっちに来ればいいよ」
「……他科の校舎に入るのに少し勇気いりませんか? ここは校舎じゃないし、もう慣れましたけど他科の敷地内って勝手に入っちゃいけない気になります」
「そうなのぉ? 俺、他科に行ったことないけど何かされるの?」
「どう言えばいいかな……ここに他科生がいるぞ! って雰囲気を出されるんですよね。一人でいる一年生は特に」
「へぇ。科によって雰囲気が違うのはわかるけど同じ学校なのに変なの。俺も他科に潜伏してみっかな」
「普通科だけは生徒が多いから紛れますよ。部活でよく普通科に行くんですけど三科生の出入りが多いです」
「部活入ってるの?」
「演劇部に」
 この学校の普通科の生徒は必ずどこかの部に所属し活動をしなくてはならない。主に三科と呼ばれる美術科、音楽科、体育科の場合は任意だ。僕は入学する前から部活に入ることは決めていて、音楽に関わる部に入るか全く違う部に入るか迷った末に演劇部を選んだ。
「文化部の中でも部員が多いんです。音楽科も多いから音楽劇に挑戦したり、美術科の部員が大道具を頑張ってくれたり豪華です」
「やっぱミュージカルとか好きなんだ?」
「大好きです!」
 親が演劇を好きな人だったので小さい頃から連れて行ってもらっていた。僕がここの音楽科に通うことになったのもそういうところから繋がっているんだ。きっと。
「劇に出た経験あんの?」
「いえ。観るだけ」
「学校行事でもやらなかった?」
「やってないなぁ……あ、でも小さい頃、姉の友人たちに巻き込まれてよくおままごとしました。あれも一種の劇ですよね」
 主にお父さんや子供、ペット、隣人役をやらされていた。今思えば女の子ばかりの中でずいぶんおもちゃにされていたけど楽しかったのを覚えてる。
「おままごと……」
「やりませんでした?」
「……そうね。おままごとはしなかったね」
「観劇はどうですか?」
「縁がないな。身の丈に合わないというか」
「どういうこと?」
「チケットが高いねってこと。映画はたまに行くけどそれさえ高い。つまらなかったら最悪だよ。大人になったらもっと高くなるなんてなぁ」
 確かにそうかもしれない。うちは特に母が好きな人だから僕の分も払ってくれてたけど自分のお小遣いで観に行くとなるとそう何度も行ってられない。そういうことならば。
「ブルーレイ観ませんか? 貸します! 観てほしいです! おすすめあるので是非観てください!」
「難しい話?」
「うーん。歴史の話だけど知らなくても理解できると思うし、ファンタジー要素が含まれてておもしろいと思います」
「じゃあ観てみる」
「本当ですか! やった! 観たら感想聞かせてほしいな!」
「わかったよ」
 深川君はもう二枚パンを焼いた。こうなったら次からジャムでも持ってこようか。

 次の日の朝、いつもより早く登校して美術科の校舎へ向かった。
 意を決して以前教えてもらった深川君の教室へ行く。途中ですれ違った誰かに「あ、音楽科」と言われた。やはり普通科とは違う。三科同士だと三科は目立つ。
 教室に着いて後ろのドアから中を覗く。教室の真ん中あたりの席に座ってる人が彼だと思った。後ろ姿で確信が持てない。
 どうしようか悩んでいると視線を感じた。廊下側の後ろの席の男子がこちらを見ていてお互いを認識した。
「あの、おはようございます!」
「……おはようございます」
「深川君に用があるのですが、来てますか?」
「来てます。呼びますか?」
「お願いします」
「ふかぁ!」
 その声が大きくて教室にいた生徒は一斉にこっちを見た。
「ふか! 音楽科の人が呼んでる!」
「もぉ~まおちゃんったら声でけえんだから~」
 そう言いながら深川君が来た。おはようと挨拶を交わし廊下に出た。ちらちら見てくる人もいる。
「どうしたん?」
「ブルーレイ渡しに来ました」
「早速持ってきてくれたんだ。放課後で良かったじゃん」
「今日、部活があるんです。早く渡したくて。返すのはいつでも構わないので観てくださいね」
 ディスクの入っているケースをそのまま渡すのも変かと思って本屋の袋に入れた。それを深川君に渡す。
「ありがとう」
「楽しんで」
「ん」
「それじゃ」
 戻る時にも美術科の生徒に横目で見られた。やっぱりそわそわしてしまう。だけどこの落ち着きのなさはそれだけではない。渡したことによる達成感や期待だ。
 近頃の僕はすぐ楽しくなったり不安になったりする。深川君のせいだと思う。