情熱冷めるまで #04

 次の日の朝、いつものように朝礼が始まるまで近くの席の子たちと談笑していた。
 昨日出た宿題や今日の授業など共通の話題から昨夜放送されたドラマの話になった。僕は見ていないので黙って聞いた。話を聞く限りおもしろそう。そのドラマの放送時間に僕は何をしてたんだろう。宿題もお風呂も済ませてごろごろしてたかな。
「おはよう」
 話していた友人たちとも他のクラスメイトとも違う声で挨拶された。先生でもない。けれど知っている声だ。
 僕の机の真横に立っている人物を見上げれば知り合って間もないのに懐かしく慕わしい顔。まるで僕たちの輪に入ってずっと一緒に話していたかのように深川君がいた。
 友人たちは堂々と音楽科のクラスに入ってきた他科生に驚く。「誰あれ?」と不思議がっている人も周囲にいる。そんなのお構いなしに深川君は僕に言う。
「昨日借りたの返すから放課後絶対に来てほしい。……いや、たまには俺がそっち行ってもいい?」
 ブルーレイを返しに来たわけではないようだ。深川君は怒ったような無表情をしている。
「もう観てくれたんですね! そっちていうのは僕が借りてる教室?」
「そう。放課後になったら音楽科の職員室の前で待ってる。じゃあ」
 彼は教室を出た。深川君の姿が完全に見えなくなると友人たちは次々口を開いた。
「びっくりした〜」
「どんと構えててかっこいい人だったね」
「今の人、演劇部?」
「いえ。帰宅部だって言ってました」
「なら、どういった友達?」
「えー……」
 その後すぐに先生が教室に入って出席を取り始めた。プレハブ小屋のことは誰にも話していない。話したくなかった。
 深川君は朝礼に間に合っただろうか。

 全ての授業が終わって僕は職員室へ鍵を借りに急いで行った。職員室前の廊下には先生を訪ねる生徒が複数人いて少しにぎやかだ。ぱっと見ただけで深川君が来ていないことがわかった。先に鍵を借りる手続きを終わらせ彼を待つ。
 何か怒っているのだろうか。初めて深川君を見て目が合った日を思い出す。あの時は僕がじっと見るという失礼に当たる行為をしてしまった。怒られるかもしれないと感じた。でも深川君は笑っていた。深川君はよく笑う。
「すまん! 荷物取りに行ってたら遅くなった!」
 バタバタと彼はやって来た。通学カバンとパーカーを両脇に抱え、背中には黒い筒を背負っている。
「音楽科の職員室前はきれいだな。美術科は連絡黒板なんかぐちゃぐちゃでわけわからんことになってる。ポスターだらけだし勝手に自分の作品飾ってる人もいる」
「そうなんだ」
 深川君はいつも通りだった。そのままいつも借りてる教室に向かう。先を歩く僕に深川君がついてくる。ちらっと振り返ってみたら床や天井をきょろきょろ見て「やっぱり音楽科ってきれいだ」と深川君が呟いた。
 職員室から教室は遠くない。音楽科の一階の角部屋。鍵を開け電気を点けた。カーテンはそのまま。机にカバンを置く。
「深川君も荷物置いてください」
 彼は黙ってそうした。何も言わない。
「深川君? どうかしましたか?」
 名前を呼んでも返事をしてくれない。
 彼は下を向いてふうと息を吐いた。僕は息を呑んだ。深川君がじっと僕を見る。そしてこの沈黙は終わった。

 彼が歌った。大きな声でしっかりと一音一音が耳に届く。呆気に取られた僕は自分が貸したミュージカルの劇中の一曲だと気づくのに遅れた。
 深川君、なかなか上手じゃないか! そう感心してるうちに次のパートになる。これは男性同士のデュエット曲だ。二人で歌うもの。この教室には深川君と僕しかいない。僕は声を出した。
 この曲を誰かと一緒に歌うのは初めてだけど何回も繰り返して見た舞台だ。友達に薦めて観てほしいと願うくらい大好きなんだ。急に黙られて急に歌われてとっても驚いたけどこんなに楽しいのなら構わない。彼はもちろん僕だってとても未熟な歌い方だけどこの瞬間、世界で一番のデュオだった。

「深川君、歌、上手い! 一晩で覚えたの?」
 歌い終わると二人とも息も絶え絶えだった。深川君は汗をかいている。
「上手くないでしょ、絶対。歌う時って高い声も低い声も出せないんだよね」
  深川君はカバンから出したタオルで汗を拭った。
「昨日ちょっとだけ再生して寝るつもりだったんだけど最後まで観ちゃったよ。今のシーンとか他にもたくさん繰り返した。今日一睡もしてない」
 深川君はへとへとだ。二人とも思い切り声を出して歌った。プレハブ小屋で歌ってたらきっと音漏れがすごかっただろう。
「夜からずっと音楽が頭の中でぐるぐる流れてて気を緩めると歌いだしそうだった。学校サボってカラオケ行こうかなんて考えちゃったし。声出したくて出したくてたまらなかった」
「わかるよ」
「疲れた! のどが痛い!」
「腹式呼吸ができてないね」
「腹から声出すってどうやんの? 昔から理解できないんだよね。ハモってたのもすごいな。釣られるよ」
「本当は僕が主旋律の担当だったんだよ」
「そうだったの? 流石、音楽科です……」
「楽しかったね」
 高校生になってからは特に丁寧に歌うことを意識していたので、こうして思い切りでたらめに好きに歌うのは久しぶりだった。心から楽しかった。幼稚園のお遊戯会の時みたいだ。まだお遊戯会というものを理解せず歌と踊りを練習したあの頃と同じだった。
「また一緒に歌おう。トート様、また誘ってね」
「もう歌わない」
 深川君はおままごとで遊ばなかったと言っていたけど、もしかしたらごっこ遊びは好きだったんじゃないかな。反対に僕はやらなかったヒーローごっこの素質はあったんじゃなかろうか。
 歌っている深川君は一生懸命だった。歌い慣れていない彼が覚えたばかりの歌をたどたどしくも堂々と歌ったのだ。そしてギラギラした目で僕を捕らえていた。きっと我慢して我慢して出し切ったからこその目だった。それをまた見たいと思った。