情熱冷めるまで #06
早朝、母から「おはよう! 8月5日から9日に決まりました!」とメッセージが来ていた。毎年恒例の遠出の日程が決まったのでこの期間に予定を入れるなということだ。
夏休みはいつも家族と軽井沢やら清里やらへ行く。それだけならいいけど途中で知らない人と合流する。遊びに来る人は毎年違う。親族や母の友人、仕事関係の人たちが隣のコテージに数日間いる。小さい頃は楽しかった。遠くに出かけるだけでわくわくしたものだ。
でも、もうそういう年頃なんだ。母の知り合いは以ての外だけどちょっと遠い親戚だってよくわからない人だ。僕はその人のこと知らないのに相手は僕をちょっと知っている。
去年は受験生だったからこの会に参加せず留守番できたけど、今年は高校はどうだとか色々尋ねられるんだろう。僕は相手に質問することがないから僕のことだけ知られていく。それが嫌になってきた。
母はにぎやかなのが好きだから毎年こうしている。それに何も言わずに付き合ってる父はすごい。姉は知らない人だからこそどうでもいいと言っていた。いてもいなくても変わらないそうだ。それもすごい。
「深川君は夏休みどこか行くか決まってる?」
その日の放課後、僕はプレハブ小屋の大きい木のテーブルに突っ伏した。一つの扇風機が頑張って風を送っている。深川君はスケッチブックに動物のまるっこいかわいいイラストをたくさん描いていた。
「旅行とかならどこにも行かん」
「どっか遊びには行く?」
「そりゃあ、ずっと家にはいないよ。中学の友達とか美術科のやつとはどっか行こうって話したけど泊まりの予定はなし」
「そうなんだ……」
いいな。羨ましい。
「美術科全体でさ、自由参加の合宿みたいなのあんだけど予定が合わないんだよね。そこで課題終わらす人も多いって聞いたから俺もそうしたいところではあるが。俺は地元で何か題材探すんだ」
「題材って景色?」
「景色でもいいけどピンと来たもの」
「旅行行けるなら行きたい?」
「行きたいよぉ」
題材がありそうな場所なら思い当たるけど彼の創作意欲を掻き立てられるかわからない。物は試しだ。
「深川君、うちに来る?」
「え、どこ?」
スケッチブックに向いていた顔を上げた。狐につままれている。
「僕の家。藤沢だよ」
「どこ?」
彼は怪訝な顔をした。藤沢を知らないのか。
「茅ヶ崎と鎌倉の真ん中」
「ほーん」
「江の島あるよ。知らない?」
「江の島って鎌倉じゃないの?」
「藤沢市だよ!」
「自分の住んでない都道府県の市なんて知らん!」
「有名なのに……」
小さい頃はよく連れて行ってもらった。母はもう飽きたようで次第に行かなくなった。
「行ったことないなら、おいでよ。案内するよ。って言っても僕も最近は全然行ってないんだけどね。迷子にはさせないよ。きっと課題の題材になるものがあるはずだよ。江ノ電乗ってぶらぶらしてみない?」
「でも課題を頭の片隅に置いて一日遊ぶなんて無理だし……」
「泊まりにおいでよ」
「え⁉」
深川君は固まった。何か色々考えてるんだろうな。
「空いてる部屋もあるし、母なんか夏休み中ずっと泊っていいって言うよ」
「それは流石に図々しいにも程があるだろ!」
深川君の顔はスケッチブックに戻ってしまった。もうこの話は終わりと言わんばかりに。
「数日間でいいから僕を助けると思って、お願い」
「助ける……?」
僕は夏休みの事情を話した。
「旅行に行かない口実を作りたいわけだ」
「そう。友達がその日に泊まりに来るって言えば母は友達を優先するように言うと思うんだ」
「なんで?」
「そういう人なんだ」
「お袋さんは高校生の息子と面識のない友達に何日も家を任せる人なのか」
「僕は信用あるから大丈夫だよ。でも、そうだな……」
一応、友達を家族に紹介するのが道理なのだろう。
「八月五日に家族が出かけるんだけど、その前日にうちの家族と一緒に夕飯でも食べない? 母は絶対に深川君に会いたがるから」
「なんでそんな……」
深川君は面倒臭いような悲しいような表情をした。そんな顔しないでほしい。もっと気軽にいいよって言ってくれると思ってた。
「そんなに行きたくないの? 親に直接そう言えばいいじゃん」
「母には言えない。家族と友人と過ごすのを毎年本当に楽しみにしてるから。でも僕には人が多すぎるんだ」
「寮に入ったのもお母さんから逃げるため?」
「え?」
逃げる? 寮に入ったらどうかと言い出したのは母だ。僕は本当に朝が苦手なんだ。母と仲が悪いわけではない。冬には家族旅行に行く。それは居心地がいい。父と母と姉しかいないから。母から逃げたいなどとは思ったことがなかった。
「僕はただ、利害が一致するかなと思って……」
「ふーん」
よくわからないけど深川君はまた怪訝な顔をする。僕は何を疑われているんだ。
「とにかく遊びにおいでよ」
「うーん」
「遠慮とか全然しなくていいんだよ。来てくれたら喜ぶよ」
「お母様が?」
僕はヒントを得た。
「……深川君が遊びに来てくれたら、僕は嬉しいよ」
「まぁ、いいでしょう」
深川君はふふんと笑って応えてくれた。おちょくられた気分だ。実際にからかわれたのかな?
「君んちにはイーゼルはあるかね?」
「譜面台ならあるよ」
からかわれててもいいや。嬉しかったから。