情熱冷めるまで #08
学校を出て夏休みの予定を立てる場所を考えながら深川君と歩いた。
基本的に寄り道は校則で禁止されている。学校の最寄り駅の周辺には色々なお店があるけど本屋や文房具店も駄目だ。勉強や部活に必要な買い物や通院などどうしても行かなくてならない場合は、正当な理由のある遅刻や前もって決まっている早退と同じように届けを出す。僕はどれも提出したことがない。
「深川君は寄り道初めてじゃないんだっけ」
「そうね」
「どういうとこに行くの?」
「コンビニとかゲーセン? 銭湯も行ったよ」
「銭湯?」
「富士山見に行った。参考になったようなそうでもないような」
深川君はクラスの子たちと大きい富士山の絵を描いてる。文化祭で展示する作品で僕も完成を楽しみにしてる。
「先生に見つかったらどうしようって思わなかった?」
「学校周辺じゃなきゃ絶対バレない。駅を出れば見つかんないって」
寄り道ってどれくらい悪いことなんだろう。生活態度として成績に大いに響くかもしれない。親を呼び出されたりなんかしたら大変だ。でも深川君の言う通り、学校の近くだから見回りの先生に見つかってしまうわけだ。
「……僕、いい場所知ってるかも」
「いい場所?」
「多分、先生もチェックしてないんじゃないかな。わかりにくいし学生もあんまり来ないと思う」
「へぇ。じゃ、そこ行くか」
「ちょっと歩くけどいい?」
「いーよ」
少しだけ心配しながら僕と深川君は歩く。その間、僕は話題を探した。スケッチブックの時の空気に戻されないようにあれこれ話した。そのうちに学校からすっかり離れた。十分くらい経っただろうか。大通りから小道に入って目的地の喫茶店に到着した。
「なんでこんな路地裏にこんな店あるの知ってんの?」
「散歩した時に見つけて一度入ってみたかったんだ」
僕は寮生だけど実家が近いので週末には帰る。金曜に帰って日曜に寮へ戻ることもあれば、土曜日に戻って一泊もせずに寮へ戻ることもある。
億劫になって家へ帰らない週末だってある。そんな土日は寮を出る。先輩が教えてくれた寮の近くの安くて美味しいレストランには何度も行った。お腹いっぱいになったら足を延ばして知らない場所を二、三時間歩き回る。
この喫茶店は個人で営業されていて昔ながら、古き良き、レトロといった言葉で表せる店だった。ただ外観が古びているせいで一人だと入りづらい。だから、いつか仲良くなった誰かと来ようと思っていた。常連客に占領されてなくて雰囲気のいい店ならいつもの場所にしたい。もし場違いだったら一度きりの冒険でもいい。とにかく気になっていた店だ。
勇気を出して扉を開けるとリンとベルが鳴って冷房の風を浴びた。年配の女性の店員さんがやって来る。「お好きな席にどうぞ」と言われて僕は深川君を見た。
「どこでもいいけど窓際」
深川君のこういうところ嫌いじゃない。席に着いてすぐ深川君はメニューを手に取り広げる。店員さんが水とおしぼりを持ってきてくれた。
僕たち以外にはサラリーマンが二人で仕事の打ち合わせをしていたり、一生懸命パソコンを打っている大学生くらいの男性と新聞を読んでいるおじさんがいる。店内はうっすら煙草の臭いがする。
「なぁ、コーヒー飲める?」
一人で見ていたメニューを僕も見えるようにしてくれた。ページには様々なコーヒーの名前が並んでいる。
「飲めるよ」
「豆の違いわかったりする?」
「違いはあんまりわからないけどコーヒーは好き」
「そっか……俺はアイスティーにする。食べ物どうする?」
「そうだね。何か食べたいな」
「俺、今日あんま手持ちない」
そういうことならと半分こだ。相談してピザトーストを二人で分けることにした。店員さんを呼ぶ。
「アイスティーとピザトーストと」
「アイスウィンナーお願いします」
店員さんが厨房へ注文を繰り返した時に深川君は小さい声で僕に言った。
「アイスウィンナーって何?」
「冷たいウィンナーコーヒーだよ」
「ウィンナーコーヒーって何?」
「上にクリームが乗ってるコーヒー」
「なんだよ!」
深川君が大笑いした。きっと店にいる全員がこっちを一瞬見た。
「ブラックコーヒー飲めます、みたいな顔でさっきコーヒー飲めるって言ったくせに甘いやつかよ!」
「コーヒーはコーヒーだよ! ブラックだって飲めるよ……!」
「ひひひひ……」
深川君はよく笑う人だけどこんなところでやめてほしい。僕は恥ずかしくなってせっかく涼んだ体が熱くなった。深川君もたくさん笑って暑くなったのか水を一気に飲み干した。
「はあ……それで、夏休みどうしますか」
「深川君どっか行きたい場所ないの?」
「美術館行ってレポート書かなきゃいけないんだよな。江ノ電で行ける範囲で興味あるのあるか調べとくわ」
そして深川君は有名な寺と美味しい食べ物の要望を出した。僕も色々調べておこうと思った。
やって来た飲み物とピザトーストと一緒に大まかな計画を立てた。深川君はもう大きい声を出さない。こそこそと小声で夏休みのことを話し合った。煙草の臭いには慣れなかったけどこの時の僕たちはこの店に完全に溶け込んでいた。完璧な時間だった。