情熱冷めるまで #09

 八月四日。約束の時間の十分前に駅まで深川君を迎えに行くと彼はすでに来ていた。人混みの中だったけどすぐに見つけられた。
 赤いキャップを被った深川君はリュックを背負い右肩にはいつも学校でも見かけるトートバッグ、左肩には黒い筒をかけていた。右手で紙袋を持って両手でダンボール箱を抱えている。
「大荷物だね。どれか持とうか」
 まるで家出でもしたかのような見た目だったので挨拶より先にこういう言葉が出た。手ぶらだった僕はトートバッグと筒と紙袋を預かった。
「家出る前にじいちゃんが野菜持ってきてくれたんだ。じいちゃんの家で採れたやつ。定期的にくれるんだけど、俺が友達の家に泊まりに行くって知ったら持ってけって……」
 家の近くまで行くバスを待っている間、深川君はダンボールについて説明する。
「ナスとキュウリも入れてたけどほとんどトマトだよ。こんなたくさん急に持ってこられても迷惑じゃんって俺は言ったんだけど。俺だってこんな重いの持ち歩きたくなかったけど持ってけ持ってけうるさくて」
「迷惑じゃないよ。今日の夕飯、バーベキューだからナス焼こうよ」
 予定通りに来たバスに乗る。一番後ろの席が空いていたので座った。深川君は帽子を脱いで汗を拭いた。駅で彼を見つけた時から思っていたけれどやっぱり髪が短くなっていた。冷房が前髪を揺らす。

 道が混んでて予定より時間がかかった。バス停から家まではちょっと歩く。もっと近いとありがたいんだけど。
 家に着くと深川君は見上げて言った。
「いい家だなぁ」
「そうかな? ありがとう」
「ここに住んでるの?」
「え? 住んでるよ」
「ほえ~」
 玄関前で話していたのがわかったのか母が嬉々として出迎えた。
「お帰り! いらっしゃい! 待ってましたよ!」
「ただいま」
「はじめまして。お邪魔します」
 深川君が固くなった。母はにこにこしながら深川君を見つめ、次にダンボールを見た。
「これ何が入っているの?」
「祖父の家で今朝採れた野菜です。食べてください。多くてすみません。でも美味しいので」
「嬉しい! お野菜は冷凍もできるからたくさんあっても問題ないよ。でも採れたてならサラダにしていただきましょう。今日はバーベキューなの。深川君がお肉とお魚が好きって聞いたから両方用意したの。野菜もちゃんと食べなくちゃね。深川君はどのドレッシングがお好き? それより、二人とも暑かったでしょう。リビングいつもよりクーラーの設定下げておいたの」
 母は止まらない。
「僕、喉が渇いたな。深川君も何か飲まない? お茶でいい?」
 止まらない母を止められる人は僕しかいなかった。
「あぁ、ごめんね。お母さんが持ってくるから二人は座ってて。すぐ用意するから」
「あの、こっちの紙袋、ゼリーなんで冷やして食べてください」
「ありがとう! これも後でみんなでいただきましょうね」
 深川君から紙袋を受け取って母はキッチンへ向かった。僕たちは冷房の効いてるリビングでのんびりした。のんびりしていたのは僕だけだったかもしれない。

 母がアイスティーを入れて持ってきてくれてからは深川君に質問詰めだった。

「学校でどういう勉強をしているの?」
「宿題は終わりそう?」
「部活には入っているの?」
「演劇はお好き?」
「将来は画家さんを目指してるの?」

 母にとっては初めて会う息子の友人に対してごく普通に接していたはずだけど、これじゃまるで面接だ。深川君は困った表情なんてせずに真摯に答えてくれる。
「将来のことはまだ全然考えていません。でも学校で美術を教えられたらいいなと思ってます」
「学校の先生! 素敵だね! 技術や楽しさを伝えるって大切なことよね」
「お母さん、そろそろ部屋を案内するよ」
 お茶も飲み終えた頃を見計らい、僕たちは席を立った。

 たまに祖父母が泊まりに来る時に使う洋室を深川君に使ってもらうことにした。古いけど大きいテーブルがあるので課題をやるにはここが一番最適だと思った。
「こんなところ作業場にしていいの? ベッドもふかふか」
「好きに使っていいって父が言ってたから好きに使って」
「ありがとう。今日お父さんは?」
「今は出かけてていないけど夕飯前に帰ってくるはず。姉は部屋にいるよ。勉強中か寝てる」
 リュックとトートバッグと筒を置いて深川君は大きく伸びをした。
「いいな。こんなきれいで広い家」
「深川君の家はどんなとこ?」
「ぼろい一軒家だよ」
「今度遊びに行っていい?」
「ぼろいって言ってんじゃん」
「いいじゃん」
 それでも行ってみたいと思った。どんな場所で深川君が育ったのか見てみたい。知らないことを知りたい。
「深川君、学校の先生になりたいんだね」
 彼が教育に携わろうと考えているとは意外だった。僕の言葉に深川君は鼻の横をちょこっと掻いて答えた。
「それは建前ですね」
「建前?」
「わかんないもん。将来のことなんて。訊かれたらそう答えるようにしてるんだ。真面目っぽいでしょ」
「そうなんだ。僕はミュージカル俳優かうたのお兄さんになりたいんだけど音楽の先生もいいなって思ったよ」
「貪欲だなぁ」
 けらけらと深川君は笑う。同じ学校で僕が音楽の、深川君が美術の先生になったら楽しいだろうと思いますよ、深川先生。なんてね。
「……僕の部屋はちょうどここの真上だよ。来る?」
「見せてもらいましょうか」

 二階へ上がる。姉の部屋の前はなるべく静かに通るようにと注意した。我が家の暗黙のルールだ。
 僕の部屋に入ると真っ先にベッドの端に布団が畳まれているのが目に入った。
「お母さんが布団持ってきたんだと思う……」
「こっちで寝ろってこと? 別にいいよ。あなたはどうですか? 一人じゃないと寝られない?」
「そんなことないよ。むしろ一人じゃ起きられないし」
 トイレや風呂の場所も教えた後にキッチンへ戻った。父はすでに帰宅しておりバーベキューの準備に取りかかっていた。父と深川君は手っ取り早く挨拶を済ませ、僕たちも夕飯の支度を手伝った。