情熱冷めるまで #11
江の島の玄関口である弁天橋。ここに着いて深川君は色んな角度から写真を撮った。それからクロッキー帳を出して絵も描いていた。
その間に僕は江の島を描く深川君の写真を一枚撮った。全く気づかない。口をきゅっと結んだ真剣な横顔だった。
人通りが多いからうろうろ動き回ることもできないので僕も手帳のフリースペースにボールペンで江の島を描いてみた。変な線をたくさん引いてしまい直すに直せなくなった。もこもこした黒いクジラのような生き物がこちらに向かってビームを放っている。
「お前も描いたの?」
知らない間に横から深川君が手帳を覗いていて僕は慌てて閉じた。
「下手だから見ないで……」
「上出来上出来」
「どこを見てよく描けてると思うの?」
「一生懸命描き上げたところ」
こんなものがまだ数ヶ月使う手帳に残ってしまうとは。手帳に描かなければ良かった。
橋を渡ってまずはしらす丼を食べて腹ごしらえだ。それからはひたすら歩く。しかし猫を見つけると深川君は写真を撮るのでその度に足は止まる。意外ときつかった階段の先に海が見えて気分が晴れた。
岩屋はひんやりしていて涼しい。しばらくいたら寒くなりそうだけど階段を上ってほてった体には丁度良かった。富士山が見えて深川君たちがモチーフに選んだ理由もわかった。ずっと見ていると不思議なパワーを感じる気がする。
最初こそ僕はわくわくする気持ちだったのに大学生くらいのグループがうるさくて岩屋では僕たちはあまり話さないでただ歩いた。ここに行きたいと言ったのは僕だったけど、もっと暗くて広い場所だと思っていたので見当違いだった。僕たち以外にも観光客が多いこともあって渡された蝋燭も必要がないほど明るく感じた。涼しいけど長居するところでもない。僕たちはすぐに出た。
「大学生っぽい人たち元気だったね」
「すげえうるさかったな。ここでよくあんなに騒げるよ」
夕飯には随分早かったけど二人揃ってまた空腹になったのでパスタを食べに店に入った。
「そういえば深川君は海で泳がなくていいの?」
「いいよ。人が多すぎるし海は見るのが好きだから。水着も持ってきてない」
「そっか。なら良かった」
僕は泳げない。どうやっても前に進まない。クロールが空回る。それはそれでいい。その姿を人に見られるのが嫌だ。授業で水泳がないことも受験する前に確認したくらいだ。
深川君はカルボナーラ、すっかりトマトにはまった僕はペスカトーレを注文し、それらを待ちながら共通の宿題の話をした。
「美術科でも読書感想文ってホチキスで何枚も留めてあるやつ配られた?」
「配られた! あの中から自由に本選んでいいって言われたけど多すぎて選ぶのが困難だった。何にした?」
「僕は『小僧の神様』にしたよ。一冊に短編がいくつも入ってるやつ。読みやすかったし、他の短編のことにも触れて文字数稼げた」
「あ~ずるい……俺もそれにすれば良かったかな……」
「ずるくないよ~深川君は何を選んだの?」
「『星の王子さま』」
「読んだことないなぁ。絵本みたいなやつだよね」
「うん。絵多いから借りたんだけど内容は全然子供向けじゃなかった。難しい」
「高校生の読書感想文の課題図書になるだけあるんだ」
パスタが運ばれてきた。一口くれと言われたので僕も一口もらう。どちらもとても美味しい。
「内容も難しいし、ただでさえ普段から本読まないし、何かをしっかり考えるってこともしないし」
「難しかったって素直に書けば? どこがどう難しかったかを書けばいいよ」
「それも難しいな」
深川君はパスタをフォークでくるくるさせる。ベーコンや野菜は絡まず弾き飛ばされている。
「言葉でまとめるの苦手なのかな、俺」
「でも美術館のレポートは? 書くの大変?」
「それは……うーん……」
深川君はパスタを口に含んでもごもご噛んだ。
満腹になった僕たちは店を出て海辺を歩いた。僕たち以外にも人はいて楽しそうにふざけ合っている。
夕日がとてもきれいだったので僕は写真を三枚ほど撮った。これから夜が来るとは思えない。ずっとこの色を保っていてほしい。素晴らしい景色だった。この空や海の色は絵の具で再現できるのだろうか。きっと深川君は鉛筆一本で色や光を表現するんだ。
隣を見ると深川君は呆気にとられている。口を少し開いて「すごいなぁ」と呟いた。
僕は空に心を奪われている深川君の横顔を撮った。
「うわ⁉ びっくりした! 急になんだよ! 消せ!」
「変な顔してたから」
「変な顔なら消せよ!」
「はいはい」
消す操作をする振りをした。なるほど。僕は人にいたずらする楽しさを知ってしまったかもしれない。