情熱冷めるまで #13

 もう日付が変わりそうだ。深川君が僕の絵を描きたいと言った。僕は驚き、照れて、どうすればいいのかわからずにいた。
「お前の絵、描いてもいい?」
 熱心に頼んでるようにも、ためらいながらお願いしているようにも見える。満更でもない。照れるけど断ることもないだろう。
「深川君、僕──」
「ちょっとさ、モデルって大変だと思うんだけどさ」
「えっ」
「絵が完成するまで視線も動かせられないから」
「そんな……ずっと動かないでいるなんて無理だよ……!」
「ちゃんと休憩挟む!」
「どれくらい?」
「そうだなぁ。二十分描いたら十分、四十五分だったら十五分の休憩を約束する! それを繰り返す! 最後は肩揉ませていただきます!」
 そんな長時間、同じポーズを取っていられるものなのだろうか。絵のモデルさんは特別な訓練を受けている人なんじゃないかな。
「大丈夫、自分を信じろ。演劇部だろ?」
「そうだけど……」
「こう、そういう、動かない人っていう演技だと思いなよ」
「無茶なこと言わないでよ。深川君はモデルやったことあるの?」
「ないよ。俺じっとしてらんない」
 深川君は顎を触りながらさも当たり前のように言った。しかし何か思いついたように明るい顔をした。
「あっ! 嘘言った! あるんだよね! そうだ、忘れてた!」
「何?」
「なぁ、ベッドに軽く腰掛けな」
 僕は指示された通りにした。深川君は布団に体育座りをする。クロッキー帳と鉛筆を持っている。
「三十秒だけ動かないで」
 僕は「どうして?」と訊こうとしたけどそんな時間はなかった。深川君の目つきが変わったことにびっくりした。一緒に歌って踊ったあの日と同じ目だ。いや、それ以上だ。
 真正面から彼が絵を描いているところを見るのは初めてだった。これから描くものを捕らえる目。いつもこんな顔をしていたのかな。僕は気が遠くなりそうだった。

「ねえ、大丈夫?」
 肩を揺すぶられて鼻と喉の奥が痛くなっているのに気づいた。
「どうした? おばさんか救急車呼ぶ?」
「だ、大丈夫!」
 僕は息も絶え絶えだったけど立ち上がり元気なところを見せた。平気だ。頭がちょっとぼーっとする。こんな様子の僕を見ても深川君は安心しない。
「なんだよ。本当にどうした? 息止めてたのか?」
「……わからない」
 無意識だった。何か鋭いものでどこかを射抜かれたような変な感覚だけ残っている。
「でももう平気! 元気だよ!」
「びびった~……」
 深川君は布団に倒れ込んだ。
「一瞬寝てるのかと思ったんだけど違うみたいだし死ぬんじゃないかと思った……」
「ごめん……」
 布団には深川君の他にクロッキー帳と鉛筆が転がっている。ぐしゃっとシワになってしまったページには僕であろう座っている人物が描かれていた。
「これ、三十秒で描いたの?」
「そうだよ。美術科で三十秒ドローイング流行ったんだよね」
「三十秒……?」
「六人くらいで集まってさ、その名の通り三十秒で絵を描くの。順番にモデルやるんだけど調子乗って変な格好すると三十秒がすんごく長くなる」
「仲がいいんだね」
「……短い時間から慣れていけばモデルできるんじゃないかと思ったんだけど、もう無理強いしない。ごめんな」
「僕、モデルできるよ!」
 倒れている深川君が呆れたような目で僕を見る。見たいのはその目じゃない。
「動かないでいられる! 息も吸う! 吐く!」
「ええ~?」
「深川君、僕のこと描きたいっていつから思ってた?」
「いいじゃんそんなん、どうでも、別に」
「絵になるなんて生まれて初めて言われた。嬉しいよ」
「もう寝よう」
「さっきは、その、緊張しちゃって」
「あんなんで緊張されたら本当に死んじゃうじゃん。お前には生きてほしい」
 立ち上がって彼は勝手に部屋の電気を消した。
「深川君!」
「おやすみ~」
 僕の言うことを全然聞いてくれない。タオルケットをかけて寝る態勢に入ってしまった。

 諦めらめきれず僕は真っ暗な部屋の中でとにかく彼に話しかけた。これじゃまるで母だ。
「小さい頃から絵描くの好きだったの?」
「…………」
「僕って描きやすい顔してる?」
「…………」
「どんな時に僕を描いてみたいって思った?」
「…………」
「僕だって絵を描けるものなら深川君を描いてみたいよ。前にね、そう思ったことがあるんだ」
「……何それ」
 ずっと黙っていた深川君がもぞもぞ動いて起き上がった。夜はまだまだ続いた。