Gold can Stay #05
雨の続くある日の放課後、課題を提出し終えたひのでは職員室を出て長く息を吐いた。ふと廊下を見ると同じクラスの高谷真生を見つけた。
美術科の職員室の廊下にはフライヤーラックが並んでいる。各地の美術館のフライヤーが置いてあって生徒は自由に取っていける。真生はフライヤーをじっと眺めていた。
「よう、まおちゃん」
「ふか」
真生はひのでと同じ班で文化祭に向けて共に作品作りに励んでいる男子生徒だ。体育科のスポーツマンのように背が高く目立つ存在だが、物静かでどこかぼうっとしている。思いの外、気が合うので仲良くなった。
「まおちゃんは課題出した?」
「美術史の? まだ」
「明後日までだよ。忘れんなよ」
「そっか。大丈夫。忘れない。ふかは終わった?」
「今さっき提出した」
「お疲れ様」
真生は話しながらフライヤーを一枚抜き取った。ひのではそんな友人を見て呑気だと思った。
「まおちゃん、もう帰る?」
「帰るよ。ふかも帰る?」
「帰る。一緒に帰ろ」
「珍しい」
三郷と知り合ってからクラスの友人と下校することは滅多になかった。誘われても宿題をやってから帰ると決して嘘ではない理由で断っていた。
「今日はちょっと早く帰んなきゃいけなくってさ」
「へぇ。何かあるの?」
「うん。今日、弟が──」
答える前に一枚の紙が二人の間にするりと落ちてきた。掲示板に貼られていた三年生向けのプリントが剥がれたのだった。真生が拾って空いたスペースに貼り直した。
職員室前の掲示板は様々な連絡事項で溢れかえっている。生徒が勝手に飾った作品もある。すぐに剥がされて作者へ返還されるであろう。
ひのでは散らかった情報の中から夏休みの合宿のプリントを見つけた。夏休みこそまだ先だが申し込みの締め切りは過ぎている。この合宿に参加できれば得られるものは多いだろう。課題だって終わらせられると聞いた。
「ふか、合宿行くんだっけ?」
ひのでの目線を追って真生は尋ねた。
「いや……」
「俺も行かない。迷ってるうちに締め切られた」
「しっかりしろ!」
「でも参加費ちょっと高かったから浮いた分で別のことしようと思うよ」
「ほう」
「美術館行ったりね。課題も一人のが集中できそうだし」
夏休みの自由課題はひのでをしばらく憂鬱にした。
この日、ひのでの弟の小学校で遠足が行われた。雨天決行で屋内ルートも用意されていたが、今朝は久々にからっと晴れて本来の予定通りの屋外ルートとなった。
弟の帰ってくる時間がいつもと違って早いので、ひのではプレハブ小屋へは行かず課題を提出して真生と一緒にそのまま帰った。あらかじめプレハブに寄らないことがわかってる場合は三郷に前もって知らせている。三郷も部活動のある日は前日に教えてくれていた。
真生と別れたひのでは駅から家へ急ぎ足で歩く。丁字路にさしかかると小学校の方向から四、五人の小学生の男子が走ってきた。はしゃいでいる。ランドセルではなくリュックサックを背負っているので弟と同じ学年の子たちだろう。
弟はもう帰宅しているかも知れないと考えてさらに足を速めようとしたその時、先ほどの小学生たちを追いかける一人がひのでの前を走って横切った。
「待ってよー」
弟だ。弟のか細い声が彼らに聞こえているのか聞こえていないのかわからない。追いつけそうな距離を保っているようだった。
ひのでは弟の小ささを実感した。生まれた時から小さい弟だったが同級生と比べて背も低く体も細い。リュックサックが重そうに揺れている。
角を曲がると弟を含めた小学生たちは米粒くらいの大きさにしか見えなかった。ひのでは家へゆっくり歩いた。
「ひのちゃん! おかえり!」
弟は家にいた。同級生たちと寄り道せず真っ直ぐ帰ったようだ。
「ただいま。遠足楽しかった?」
「楽しかったー!」
「良かったな。弁当と水筒出して。汗たくさんかいたろ。シャワー浴びてきな」
「はーい!」
弟が風呂に入ってる間に兄は弁当箱と水筒を洗った。弁当のおかずは母が、おにぎりは兄が用意した。中身はどれも鮭だ。両親と兄の普段の昼食はコンビニや食堂が多いが、本日は全員弁当を持参した。
兄は自分と弟の弁当箱を並べる。こんな小さい弁当で満腹になっていた時代が自分にもあったのかと不思議に思った。弟はまだ小学二年生だ。いくら同級生と差があってもこれからぐんぐん大きくなるはず。背だって兄を抜くかもしれない。でも、もし、今、小柄なことで不便をしていたとしたら。
「ひのちゃん、今日なに食べよっか?」
洗った弁当と水筒を布巾で拭きながら考え込んでいる兄の顔を風呂上りの弟が覗き込んでいた。
「おい! ちゃんと体洗ったか⁉ いくらなんでも風呂出んの早すぎんだろ」
「あとでもう一回ひのちゃんと入るからいいの」
ぽたぽたと雫の落ちるまったく乾いていない髪を兄は拭いてやった。