Gold can Stay #06

 続く雨の日も終わりを迎えた頃だった。
 普段なら三郷の部活の日に、ひのではプレハブ小屋に長居はしなかった。寄らずに帰ることもあった。けれど今日は違う。『三銃士』のキャスト発表の日ということでひのでも演劇部の活動が終わる時刻まで待っていた。
 ひのでは落ち着かない。自分のことではないけれど数ヶ月前に経験した受験の合否の発表を待っているような心持ちだった。
 一人でこうしてそわそわしていても仕方がないので宿題のプリントを広げた。今日習ったばかりの内容だ。ノートを見ながら進める。正誤は気にせずとにかく答えを埋めた。

 どれくらい時間が経ったかやっとのことで宿題を終わらせて顔を上げる。窓から体操着の三郷が見えた。美術科と音楽科で体育の授業もバラバラなので初めて体操着姿を見た。演劇部は運動部なのだとひのでは実感した。
 三郷がプレハブに入ってくる様子はない。ひのでは窓を開け顔を出した。
「どうした? 入んないの?」
「何か真剣にやってたから……」
「宿題なぁ。やっとこさ終わらせたぜ」
「……そう」
「オーディションどうした?」
「僕はアンダースタディになった」
 ひのでは何を指す言葉なのかわからなかった。そのため、あらかじめ用意していた言葉が咄嗟に出てこなかった。三郷は明らかに落ち込んでいる。欲しい役は手に入らなかったようだ。
「アンダーなんとかってそういう役名?」
「代役のことだよ。二番目に良かったんだって」
「代役⁉ ……そういうのもあるんだ。流石、本格的なんだなぁ」
「昔、本番当日にメインキャストが食中毒になって公演中止になったことがあって、それからできるだけ代役を立てるようにしたんだって」
「そっか。代役……二番目か……」
「僕には生意気さが少し足りなかったって言われた」
「はぁ。十分生意気ですけどね。受かる気満々だったんだから」
「満々じゃない」
「じゃあそんなに落ち込むなよ」
「落ち込む……」
 オーデションを受けた人数は圧倒的に二年生が多かった。けれどダルタニアン役は三郷と同じ音楽科の一年生に決定した。
「力不足だったなぁ……」
 手応えがあったはずだ。だから希望を持つこともできるし予想と違う結果に落胆できる。練習したことが発揮もできずに落とされるよりずっといい。自分だったらオーディション当日にはきっと緊張でおかしくなるだろう。声も台詞も出なくなるはずだ。仕方ない。三郷は頑張った。悔しがれるのだから立派だ。今にも泣きだしそうなのに耐えている。その様子に感服する。ひのでは彼の野望と向上心を称賛した。もちろん、できることなら三郷を合格にしてあげてほしかった。
「そんなとこで落ち込んでないでさ、中入りなよ」
 窓を開けたまま、ひのでがプレハブ小屋のドアを開けると三郷はとぼとぼと室内へ入って力なく椅子に腰かけた。
 ひのではオーディションを頑張ったご褒美の話題を今ここで持ち出すことができなかった。
「……でもさ、気ぃ抜いてらんない立場だな! 代役!」
「うん」
「突然の食中毒でも緑柱玉でも何が来てもどんと構えてなきゃあな!」
「うん」
 言われなくたって理解できてるであろうことしか言えなかった。それに対して三郷は「うん」を繰り返した。
「……ほら! 前に暗記したやつあったろ!薬の長ーいやつ!」
「『外郎売』?」
「それ! それやった時みたいにさ。俺も付き合うよ、練習」
「……」
 以前、三郷は演劇部の課題で『外郎売』の口上を暗記した。小テストの歌の練習にも力を入れる男だ。きっと何度も繰り返し頭と口に覚えさせたのだろう。ひのでの前で披露した時は一度もとちることなくスラスラと言えていた。しかし、ひのではどこかおかしく感じた。
「寅さんみたいにやれば? ってアドバイスくれたね」
「だって暖、物売りなのに虚空に向かって突っ立ってただ言ってるだけだったじゃん。あれじゃ売れんぜ」
「うん。お陰ですごく褒めてもらえたよ」
 通行人との距離を考えて声を出したり、身振り手振りを交えたことで三郷の『外郎売』は暗記した言葉を思い出すので必死になってる新入生の中でも人目を引くものとなったのだった。残念ながら部外者のひのではその場にはいなかったのだが。
 三郷が体操着から制服に着替えてる間、今日配られたという台本を見せてもらった。見慣れない文字の海にひのでは溺れた。

 その数日後、すっかり元気になった三郷は夏休みに家へ来ないかと提案を持ちかけてきた。藤沢にある三郷の実家に泊まり、周辺で自由課題の題材を探し、作業場までも用意してもらえるという都合のいい話だ。他人も参加するおかしな家族旅行に同行したくない三郷が家に残るための理由に「友人・深川ひのでの訪問」を充てようとしたのだった。
 話を聞く限り、彼は家族といい関係を築けているようだ。大事な一人息子と過ごす休暇を奪われ恨まれるのではないかとひのでは懸念を抱いた。ただでさえ課題をするために友人の家へ足を運ぶことに躊躇した。
「うちの母、若い子が好きなんだよ。そう言ってた。深川君が来たら絶対喜ぶ」
「俺はどんなに美人でも人妻には興味ない」
「深川君は親戚の集まりとか楽しい?」
 楽しいわけがない。面倒だ。気持ちはわからないわけではないが釈然としない。ひのでにも利点はある。だが、どうしても納得できなかった。
「遠慮とか全然しなくていいんだよ。来てくれたら喜ぶよ」
 徐々に悲しくなってきていた。自由なお人柄でいらっしゃる母上に振り回される息子。思春期の倅に遠回しに距離を置かれる母親。それに利用される自分。
「……深川君が遊びに来てくれたら、僕は嬉しいよ」
 結局、ひのでは目の前の業突張りの思う通りに使われることにした。だから自分もほどほどに三郷家を利用してやろうと考えた。