Gold can Stay #08
学生たちはそわそわしていた。夏休みが近づいている。しかし気を抜いてはいられない。全国各地で暑さが猛威を振るっていた。
毎日のように水分や塩分を奪われ、救急車で運ばれる人々の多さがニュースで伝えられていた。ひのでのクラスでもデッサン中に体調を崩してしまった生徒がいる。
外で活動する運動部は特にひどい状況のようだった。どの科でも教師たちはしつこいくらいに生徒たちへ給水を促す。指図されなくとも生徒は渇いた喉を潤した。校内の自販機の冷たい飲料は売り切れが続出していた。
そんな危険な暑さと一緒に今年も弟の誕生日がやってきた。
小学校から真っ直ぐ帰った弟は友達からもらったお菓子やら折り紙やら手紙を一つ一つ誰からもらったか嬉しそうに兄へ説明した。きっと母たち相手にも後で同じことをするのだ。
兄は両親が仕事から帰ってくる前にプレゼントを渡した。渡しているところを見られるのは照れ臭かった。
「にしび、誕生日おめでとう」
「わあ! ひのちゃんありがとう!」
リボンのついた小さな包みとバースデーカードを渡すと弟はカードをじっと見る。
「これマーラ? マーラの親子! かわいい! アルマジロもちゃんといる!」
毎年、動物好きな弟のブームの動物と最愛のアルマジロを描いている。今年はマーラだ。ウサギのようなネズミのような動物だ。
「かわいいね! またマーラ見に行きたいね!」
「そうだな」
弟が包みよりカードに目を止めたことに兄は安堵した。どちらも一生懸命考えて用意したものだが、まだこうして自分の手掛けたものを喜んでくれる弟を抱きしめたかった。
毎年渡しているバースデーカードは弟が生まれた日に兄が赤ちゃんへ書いた手紙が基となっている。当時は手紙を書いているつもりだったが、誰が見ても添えたイラストがメインだと思うだろう。幼少から絵が得意だった兄が弟の誕生の喜びを最大限に表現できるのはやはり絵だった。これは家、これはお父さんにお母さん、こっちは僕と赤ちゃん、と描いた絵を母の腕に包まれている弟に解説した。
手紙を書いたことを父に伝えると赤ちゃんが大きくなっても読み返せるように保管しておこうと預かってくれた。そして、去年、弟が小学生になって初めての誕生日にファイルにとじてまとめて渡した。きっと今年のマーラとアルマジロもそのファイルにしまわれるのだろう。
「こっちはなにかなあ」
紙が破れないようにテープを慎重に剥がして弟はプレゼントを取り出した。多少破けたがなかなか器用だと兄は思った。
「おさいふ?」
「そうだよ。今使ってるの、俺のお古じゃん。新しいの使いな」
弟が小学校に入った際に彼専用の財布が用意された。五百円玉と緊急用の小さく折りたたまれた千円札、家や両親の職場、兄の学校、祖父母の連絡先の書かれた重要な紙が入れてある。
兄が使い古したものだったが弟は自分の財布を持てることに大喜びでおさがりに不満はなかった。それでも兄は弟に弟だけのものを持たせてあげたかった。
「ありがとう!」
弟は兄に抱きついて感謝を表した。自分のお腹のあたりにある弟の頭をそっと撫でる。
「お前、大きくなったな。まだまだちっちゃいけど」
「クラスで一番ちいさいんだよ」
「……友達に馬鹿にされる?」
「あんまなかよしじゃない子がやめてって言ってもチビって言う」
「そんなの気にすんな……って言っても無理か。どんな奴にでも嫌なこと言われるのは嫌だよな」
「ぼく気にしてないよ!」
「そっか……」
弟の返答に驚いた。兄が弟の立場だったらすぐに相手を殴っていることだろう。同じ兄弟でもこうも性格が正反対なものか。もし、自分と弟が双子だったら短絡的な兄は温和な弟をいじめていたかもしれない。そう思うと兄は年の差に安心した。
「先生がまだ心配しなくていいって言ってた。だから、たくさん食べてはやくねて、いっぱい体うごかすといいんだよ。ひのちゃんは大きいけど大きい?」
「高校の友達と比べてってこと? 俺は平均かな」
「へんきんってなに?」
「平均。ちょうど真ん中くらい。特別小さくもないし大きくもないよ」
「ひのちゃんくらい大きくなるかな」
父と母の身長を思い浮かべる。母はやや小柄だが父と自分はもう大差ないように感じた。
「きっと大丈夫。俺の身長抜かしちゃうかもな」
そう言ってやると弟はにこにこして兄から離れ、腕を伸ばしてきた。
「グルグルして!」
グルグルとは兄弟が数年前によく行っていた遊びだ。後ろから弟の脇の下に両手を組んで振り回す。遠心力に弟は病みつきになった。兄も目が回るのを楽しんでいた。しかしこれをやると親に叱られる。室内ならなおさらだ。
「いや、もう……」
前回遊んだ時はいつだったか。その頃より弟の背は伸び、体重も増えた。狭い家の中でできるわけがない。
「……じゃあ、外でやるか」
「うん!」
兄が高校から帰った時間より空はうっすら濃くなっていた。朝顔がちらほら咲く決して広いとは言えない庭に出る。もうじき草むしりを命じられるだろう。
久しぶりに弟を持ち上げる。今もまだこんなに小さいのに確実に大きくなっていることを実感した。十数回回ると汗が噴き出てきた。反対方向からも回してやった。
「はい! おしまい!」
「もっと!」
「そろそろお父さんもお母さんも帰ってくるからさぁ」
「もう一回だけ!」
弟の言うもう一回はもう数十回だ。本日の主役に付き合ってやった。
日々成長している弟を振り回すことはこの狭い庭でもきっとすぐにできなくなる。兄は弟の重さとくらくら回る視界を覚えていようと決めた。