Gold can Stay #10

 三郷はひのでと過ごす三日間の予定を立ててくれていた。課題のために行きたいと伝えておいた美術館も忘れずに取り入れられていたので、ひのでは黙って三郷に従うことにした。

 一日目は鎌倉散策だ。有名な寺院や飲食店に行ってクロッキーをしたり写真を撮った。どこも人が多くまるで人を見に来たようだとひのでは思った。
 観光客でごった返す通りを一本入ると喧騒が嘘のように消えた。希望していた美術館は住宅街に紛れていた。看板がなかったらこの日本家屋を通り過ぎていたかもしれない。土地も時間も突然変わってしまったような気持ちに二人はなった。
 美術館は想像より小ぢんまりしていたがひのでには十分だった。作品数も想定より少なかったけれど、その分一つ一つ鑑賞できる。三郷はひのでのペースに合わせているように後ろで自由にしていた。
 展示されている美人画は決してきつい色ではない。落ち着いた色使いなのに地味にならず華やかさがしっかり感じられる。課題のためにまじろがず見ていたひのでは透明感と色気に当たった。
「真剣に見てたね。疲れてない?」
 ひのでが一通り鑑賞を終えたことに気づいた三郷は近づいてきて小声で尋ねた。ひのでは美術館内をぐるりと見まわしてから三郷の顔を見る。こういう絵を描こうと決めた。
 手入れされている庭も美しかった。また季節が変わったら来たいと二人は眺めながら話した。

 再び鎌倉を歩く。夕方になって飲食店や土産屋が店を閉め始めた。
「朝に食べたホットケーキ美味かったなぁ。家で作っても絶対ああはならない」
 何ヶ所か見て周りどこへ向かうわけでもなく線路に沿って歩いていると、ひのではふと鎌倉で最初に口にしたものを思い出し呟いた。
「ホットケーキよく作るの?」
「作る。弟が好きでさ」
「いいなぁ」
「簡単だから作ればいいのに」
「うーん」
 生返事だった。ホットケーキくらい三郷なら作れるだろう。ボウルを使ったりダマを残さないでかき混ぜたり面倒臭いこともあるけれど難しくないはずだ。
 こんなことを話していると徐々にひのでは空腹になった。
「夕飯はどうすんの?」
「どうしよっか。何食べたい? あ、野菜いっぱいあるし家で作る?」
「それでもいいけど作れんの?」
「できないけどやりたい! その場にある食材でパパッと作ってみたい!」
「そういうのは上級者のすることだ」
 ホットケーキは焼きたくないらしいのに三郷は高望みする。しかしそれくらいならひのでは叶えてやれた。
「肉野菜炒めくらいしか作れないぞ」
「いいね! それ作ろう!」
「家に肉とか米ある?」
「昨日のバーベキューの食材ならちょっとは残ってるんじゃないかな? お米はわからないや」
「主食はコンビニで買おう」
 ひのでは自宅にある古い炊飯器の使い方なら知っているが人様の家の物だと自信がなかった。以前、一度だけ設定を誤って米に芯が残ってしまったことがある。それだけは避けたかった。
 三郷家の最寄り駅の藤沢まで戻り、近くのコンビニへ寄った。ひのではおにぎりを選んだが三郷はパンと菓子を買った。

 家に着いて食材を確認すると肉野菜炒めに合う肉はなかった。話し合った末、トマトのスープを作ることになった。
 三郷は今まで全く料理をしたことなかった様子でわくわくしながらひのでの指示を受ける。
「包丁持つのって緊張するね」
 握り方がぎこちない。この台所にはピーラーはないのか尋ねたが三郷はピーラーがどういったものなのかさえわからなかったのでひのでが代わった。
 後は用心するよう注意するしかなかった。慎重になって角切りに挑む三郷の背中は今まで見たことがないくらい前のめりになって曲がっている。
「親指切りそう。猫の手だぞ」
「猫の手……聞いたことはある……」
 ぎゅっと手を結びなおした。三郷にはひたすら野菜を同じ大きさに切ってもらい、味付けはひのでが担当した。
「塩そんな少なくていいの?」
「十分。味見する? 薄くても足せばいいんだから濃いよりはいいんだよ」
「……美味しい」
 少量のスープを浅い小皿で零さないように味わった三郷は微笑んだ。料理が趣味で頻繁に家族に振舞っているという三郷の父の気持ちがひのではわかった気になった。
 野菜を大量に使ったスープとコンビニで買ったおにぎりとパンで二人は満腹になった。

「料理って楽しいね」
 食べ終えた皿を流しへ運びながら三郷は言う。
「後片付けは面倒だけどな。ちゃっちゃと終わらせますか」
「うん! 僕が洗うから深川君は拭く係ね」
 皿洗いをしながら三郷は話す。小さい頃に火や包丁が危険だという理由で台所に立つことが禁止されており、その延長で高校生になった今でも自分の家の調理場に縁がなかったのだと言う。
「ずっと興味はあったんだけど、危ないことだってきっと無意識に思い込んでたんだよね。でも楽しかったからお父さんにお願いして料理教えてもらおっかな」
「好きこそものの上手なれだ」
「うん! そしたら深川君。今日のお礼に僕のご飯食べてね。絶対美味しく作るから」
「お礼って……」
 ひのでは家庭で夕飯を作ることがある。大半が料理名のあるものでないが味噌汁や野菜炒めは小学生の頃に祖父母から教わって作ることができていた。最初こそ両親も大袈裟に褒めてくれた。現在では特段、具体的な感想があるわけでもない。塩と砂糖を間違えたり黒焦げにすることはないという程度の腕だ。自分を料理上手だとは思わない。
 それに家族以外に振舞ったことは今まで一度もなかった。だからひのでは緊張していた。いつもシェフが高級食品で作ったものを食べていそうな三郷に自分の作るぞんざいな料理が口に合うものか不安だった。
「お腹いっぱいだね。スープたくさんお代わりしちゃったから胃がたぷたぷしてる……」
 洗い終わった皿を食器棚に戻す。
「終わった~!」
「はぁ~これから課題か……」
 ひのではここへ来た本来の目的と向き合った。昼は三郷にインスピレーションの散策に連れて行ってもらい、夜には課題に取りかかる予定は絶対だ。
 満腹な三郷は伸びをして、くすりと笑った。
「何?」
「ううん。後片付けだって楽しいなって思っただけ。僕、お風呂入って来るね。今日の課題終わったら映画だからね!」
 そう言い残して三郷は着替えを取りに自室のある二階へ向かい、ひのでは一人取り残された。