放課後のラ

 晴れが続く日々。授業が終わりクラスメイト達は荷物をまとめる。
「あたし、今日は部活! 二人ともバイバーイ!」
「おー頑張ってなー」
「俺も部活行く。さよなら」
「はいよー」
 陽の差す教室から人が出ていく。友人たちと別れて、ひのではプレハブ小屋へ向かった。

 プレハブに着くと扉の前で暖が待っていた。彼は通学カバンと一緒に見慣れないケースを持っている。八十センチほどある大きな物だ。
「お待たせ。それ何?」
「ヴァイオリンのケースだよ」
 鍵を開けて二人はプレハブへ入る。
「暖の?」
「お父さんの借りた」
 そう言ってケースの中をひのでに見せる。薄いスカーフにくるまれたキャラメル色のヴァイオリンが一つ入っている。大切にされているのがよくわかるきれいな品であった。
「すごい。ヴァイオリン初めて見た。暖はヴァイオリンも弾けんの?」
「少しだけね。昔、お父さんに習ってて」
 暖の父は何者なのだろうとひのでは考えたが黙ってヴァイオリンを眺めていた。じっくり見ると不思議な形だ。たった四本の弦で音楽を奏でられるという。ひのでは音の出る仕組みが理解できていなかった。楽器というものに馴染みがない。
「ひので君、弾いてみる?」
「ピアノみたいに押せば音が出るってもんじゃないだろ。壊しそうだしいいよ」
「そんな簡単に壊れないよ。ほらほら」
 暖はひのでに肩当てをつけたヴァイオリンと弓を持たせて真後ろに立った。受け取ったもののどうすればいいのかひのでにはわからない。
「思ったより軽いんだな……」
 恐る恐るヴァイオリンと弓を握るひのでのそれぞれの手に暖が触れた。清雅な手触りと暖かさに挟まれひのでは緊張した。
「肩に乗せて、顎を乗せて」
「こう?」
「もう少し軽くて平気だよ。そう。弓はここに親指入れて。中指で挟んで。キツネみたいにして」
「小指ツリそう」
 されるがままにひのではヴァイオリンを構えた。
「よし、このまま弓を下へ下ろしてみて」
 暖に誘導された弓毛は二番線に触れていた。言う通りにすれば音が出る。そう信じてひのでは弓を動かすとギギギ……と高くか細い耳を塞ぎたくなる音が響いた。
「ひいいい! 壊れる音がする!」
「あはは! 力の入れすぎだね。でも僕も最初はそうだった。次は優しく下ろしてみて。真っ直ぐ」
「えぇ、うん、やってみる……」
 暖は再びひのでの手を取って先程と同じところへ弓を導く。どうしても力は抜けきらずにいたが楽器らしい音にぐんと近づいた。音が出た喜びと奏でることの難しさを感じる。
「……ヴァイオリンってさ、初心者が一曲弾けるようになるにどれくらいかかるもん?」
「人によると思うけど、どうだろう。僕がきらきら星弾けるようになったの半年くらいかかったかな? お父さんからなかなか合格もらえなくて」
「はー……」
 楽器を暖に返して自分はヴァイオリンに縁がなくて当然だとひのでは思い知った。
「いつも持ってきてないよな? ヴァイオリンの授業もあんの?」
「ううん。友達がね、僕がヴァイオリン弾けるって知って、一緒に弾こうって言ってくれて」
「セッションだ」
「気が乗らなかったんだ。ちょっとできるってくらいだし相手はヴァイオリン専攻だから」
 暖は親指で渦巻をなぞる。やっぱり面白い形をしている楽器だとひのでは思う。
「でも、やってみたら案外楽しかった。僕に合わせてくれたし、お世辞だろうけど声楽だけじゃもったいないって言ってくれたし」
「へぇ。じゃあ、お手並み拝見だ」
 椅子に座ったひのでは足を組み評論家を気取った。
「いいよ。レパートリーないからリクエストに答えられないけど」
「暖の好きな曲、お願いします」
「承りました」
 楽器を構える。防音機能などあるはずもない狭く簡単な造りのプレハブ小屋はすぐに暖のヴァイオリンの音でいっぱいになり溢れた。
 暖の好きな曲。明るく優しい旋律にひのでは納得した。それにもかかわらずひのでは耳より目を使ってしまった。手を動かしたくなる。暖は絵になるのだ。

「ちょっと間違えちゃったよ」
 三分程度の曲を弾き終え照れる暖にひのでは拍手を送る。
「なんて曲だっけ⁉ どっかで聞いたことあるんだよな。おーはーよーのやつ?」
「なぁに! それ!」
 突拍子のないひのでの言葉に暖は大笑いした。
「子供向け番組でそういう歌詞で歌ってたんだよ! 朝の挨拶、知らないか?」
「知らない~! 本当に?」
 涙が出るほど笑った暖は自分を落ち着かせながら最初の質問に答えた。
「エルガーの『愛の挨拶』だよ。小さい頃からずっと好きな曲なんだ。人前で弾いたのは初めて」

 その後、二人はまた別の他愛のない会話をして帰ることになった。外はまだ明るい。
「暖はピアノとヴァイオリン以外に何できんの」
「二つしか習ってないよ。でもヴィオラならできるのかな? 触ったことないんだけど」
「それは……何?」
「ヴァイオリンより少し大きくて低い音が出るやつ。ちょっと渋い」
「へーえ。俺もリコーダーでも極めれば良かったな。もう楽譜の見方も忘れたよ」
「リコーダー今も持ってる?」
「小学校のも中学のも探せばあると思う。多分」
「一緒に吹こうよ! 楽譜の読み方も教えるし! 知ってる? うちの学校にリコーダー部ってあるんだよ!」
 音楽の話となると暖はいつもこうだ。楽しそうにひのでと共有しようとする。その度にひのではくすぐったい気持ちになった。
 二人の下校は駅まで。出会った頃は寮への道で別れていたが、いつしか暖が駅まで送るようになっていた。
「一応、リコーダー探しておくよ」
「うん!」
「じゃあな」
「うん、また明日」
「また明日」
 ひのでは改札を通ってホームへ進んだ。暖も駅から離れる。何度かひのでの放った「また明日」を思い出して寮へと帰っていった。気づけば空は赤く染まっていた。