無理にきかないで #02
シャワーを浴び終えた数時間後に母が帰宅した。一緒に台所に立ち、仕事で遅くなる父の分を残して母と二人で夕食を食べる。
「あのさ~うちに外国人の親戚いないよね?」
「いないはずだけど。なんで?」
「いや、なんとなく……」
魔法使いを名乗るヨウコは食事中の息子と母を見ていた。寝そべった格好で宙に浮いている。母にはヨウコが見えていないようだった。目を合わせるとヨウコはニヤリと笑った。
「お前なんなんだよ……!」
夕食の後、自室に戻り声を潜めて問い詰める。至って平凡なマンションの田の字の間取りでは怒鳴るわけにはいかなかった。
「それ何度目だい? さっきも言っただろ。オレは君の心からの願い事を一つ叶えるために来たんだ。さっさと願いを聞かせてくれ。そうしたら帰るさ」
先程も全く同じ問答をしていた。いたちごっこだ。
「願い事なんてない! 今すぐ帰ってください! それが願い事!」
「ちゃんと考えて。それじゃ帰れないんだよ」
ヨウコは小さい口で小さい溜息をつく。
「何かないか? 本当に望むこと。人生を考えてご覧」
「考えられないよ!」
「君は学生だろ? 勉学はどうだ? これから先、全科目満点を取らせてあげられるよ。そういう願いも叶えたことがあるんだ」
「もうすぐテストがあるけど自分で勉強してるしそんなの必要ない!」
「ふぅん」
ずっと浮いていたヨウコは床に立った。平均的な身長の男子高校生の肩よりずっと下にヨウコの頭がある。黒いリボンで後ろに結っている金の長い髪は腰まで届いていた。
「少年、君は君の欲について考えなくてはいけない」
「…………」
「答えを出すんだ。それまでオレはここに住ませてもらう。よろしくな」
「はあ⁉」
「君は自分の願いに集中して。オレのことは気にしないで。金銭のことも考えなくて結構。衣食住の住だけ提供しておくれ」
「……俺はテスト勉強する!」
少年はヨウコに背を向け、乱暴に机に向かう。通学カバンから教科書や筆箱を出す。適当に広げた教科書とノートは教科が合っていない。
「お勉強がお得意のようだね。他にどんな願い事を持ちうるか……少年、恋人はいるのか?」
「うるさいよ! どっか行っててよ!」
「わかった」
その声と同時に背後に感じていたヨウコの影が消えた。
「え……? 本当にどっか行ったの?」
部屋が静かになる。少年は耳を澄ませた。自分の鼻息しか聞こえない。
「よ、ヨウコー?」
「なんだ? どっか行けと言ったのは君じゃないか」
瞬きをすれば再びヨウコは部屋に現れた。少年は今日だけで何度驚いただろう。
「君の母上がテレビを見ていた。世界遺産を紹介していたよ。広いぞ、少年。世界一周旅行なんて素敵だな」
「大変魅力的だけど結構! 飛行機はかっこいいけど、ちょっと怖いし」
少年は今日買った漫画の最新巻を手に取った。
「勉強はどうしたんだ」
「やる気ないよ。本当はもっとワクワクした気持ちで読むはずだったんだけどなぁ……」
呆れたような溜息をわざとらしくついたヨウコは少年の部屋の本棚を見る。
「君は漫画が好きなんだねぇ」
「まぁね」
「漫画家になりたい?」
「読むのが好きなんだよ」
「これらは完結しているかな?」
「まだなのもあるけど」
「そう」
「なんだよ」
「いいや、特段、何も」
今は幻覚を見ているのかもしれない。少年はそう思い漫画にも集中できずにいた。
「おや。もう寝るのかい。健康的でいいね。オレも寝るのは好きだ」
早々にベッドに入ったがすぐに眠ることもできなかった。
朝、いつもの時間に目覚まし時計が鳴る。
ヨウコはいた。切れ長の何事にも厳しそうな瞳に見られている。
「やぁ、おはよう」
「……おはよう。夢じゃなかったのか」
「どうした? 夢にオレが出てきたか? いい夢だな」
「今も夢ならいいのになぁ」
こうして少年の家でヨウコは朝を迎えるようになったのだった。