無理にきかないで #03
「ただいまー」
昼間は誰もいないことが多い家だったがここ数日は必ず返事がある。
「おかえりなさい」
「うん……」
ヨウコが玄関へ迎えに来る。少年は日常になりつつある光景を現実なのだと毎回受け止めた。
「今日は学校で何があった? あ〜こうなったらいいのにな〜と思えるようなことはあったかい?」
「ないよ!」
通学カバンからファイルを取り出した。そこから五枚の紙を出してリビングのテーブルに置く。
「それは何?」
「今日返ってきたこないだのテスト。こういうのは見せないといけないから」
そう言いながらソファーに腰掛けた少年はぐっと体を伸ばした。
「へえ。君のご両親は少し放任主義だと思っていたけれど」
「自分の子供の学力くらい把握しときたいんじゃない? まぁ成績良くないんだけどさ」
「どれどれ」
「あ! コラ! やめろ!」
ヨウコが空中に人差し指で円を描くとテスト用紙が舞い上がりきれいに並んだ。
「ふーん……なかなか優秀……あれ? これはどうなの? 英語、三十五点! 〇×問題全部間違えてるじゃん! こんなこともあるんだ。おもしろいね」
「いいんだよ……前より良くなったし赤点じゃないんだから……」
前回は三十点も取れず補習を受けた上で再試験に合格した。英語が苦手な者同士が集まってわーわーできたのは楽しかったがそれでも地獄のような数日間だった。今回それを回避できて少年はほっとしていた。
少年は台所の棚からポテトチップスの袋を出した。のり塩味だ。
「……ヨウコも食べる?」
「いらない」
「毎日ご飯どうしてるの?」
「オレは魔法使いだぞ」
「好きなもの魔法で好きに出せるの? いいなぁ。俺カルビが食べたいよ」
「それが君の心からの願いなら叶えてあげられるよ」
少年はソファーに再び座った。その隣に浮いていたヨウコも座る。
「……あのさぁ、願い事の範囲ってどれくらいまで?」
「範囲とは?」
「こういう願い事は駄目っていうのないの?」
「禁止事項はない」
「願い事を千個にしてってのもあり?」
「本当に望むならね。でもそれを願った人間はいなかったな」
「九九九人もいて?」
「うん」
ヨウコは決められた千人の人間の願いを叶えないと彼の世界に帰ることができない。この少年は最後の一人であった。だから少年の願いをさっさと叶えて早く帰りたがっている。
「すっごいな……ますます迷っちゃうな……」
「なんでもしてあげるよ。君が邪魔に思う奴を消してあげるし、死んだ人間にも会わせたげるさ」
ポテトチップスを運んでいた少年の手が止まる。
「怖……そんなことしたらバチが当たりそう」
「うーん……罰か……」ヨウコは小さく唸る。「そうだな……願い事が人の生死に関わらずね、不幸な目に遭う可能性も考えられるよ。例えばだけど、金持ちになりたいという願いを叶えてそれを狙われて強盗殺人に遭ったりね」
願いが叶ったからといってその後は決して希望ばかりではないことをヨウコは少年に伝えた。
「ヨウコが願いを叶えた九九九人は幸せになったかな」
「わからない。オレは願いを聞いたら人間の傍からすぐに去る。できるなら叶った瞬間を見届けたいけど、そういう決まりだから彼らのその後は知らない」
「え? そうなんだ……? そっか……そうか……」
「でも、まぁ、千人目の君も心からの願いを見つけられるようオレは祈ってるよ。後悔のない素敵な願い事をね。そう、幸せに近づいてもらいたいのさ。せっかくオレの力を使うのだから」
「……はい」
「いいかい? 早く、よく考えて、願い事を決めるんだよ」
「はいぃ」
千人ってどれくらいだ? 少年は考えた。一クラス三十人として小学校から高校まで十二年で三百六十人。先生や先輩や後輩もいる。もう計算しようとは思わない。
一人一人に願い事を聞いていったら何年かかるのだろう。ソファーに寝転がったヨウコを見てぼんやり疑問に思うだけにとどめた。