無理にきかないで #08

「ただいま!」
「おかえりなさい」
「ヨウコ! 今日はカレーを作るぞ!」
「カレー……」
 学校帰りにスーパーへ寄った少年が帰宅した。
 少年が台所に置いた袋の中をヨウコが覗く。カレーに必要な野菜が一通り入っていた。
「カレーって前に君が言っていた料理?」
「そう! 今朝、お父さんがカレー食べたいから作ってくれって言ったんだ。今日は二人とも早く帰ってくるって言ってたから早く作っちゃおうと思って!」
 素早く制服から部屋着に着替えた少年は手を洗って鼻歌交じりに野菜も洗う。
「君、いつもよりも楽しそうだな」
「そうかな? ……うん、リクエストもらったからやっぱり張り切っちゃうな」
 包丁で野菜を切る音も歌っているようであった。

「……カレーのことしか考えてなかった」
 もうカレーは完成間近だという頃に少年は気づいた。
「他に何を考える必要がある?」
「サラダだよ……カレーには必須なんだ。カレー食べたいって言われたからカレーしか作らないって……」
 冷蔵庫の中身を見たが目ぼしい野菜はレタスのみ。
「レタスだけか。ないよりいいかなぁ。ヨウコ、サラダ作って」
「はあ?」
「ほい、手洗お~!」
 少年はヨウコの黒い服の袖を捲り上げる。暴れるヨウコを抱きかかえ流しで手を洗わせた。
「レタス三枚むしって。水でサッと洗って。ザッと水切って。食べやすいサイズに千切って」
 ヨウコは大儀そうに言われる通りにやってやった。
「次はドレッシングを作ります」
 少年は醤油やゴマ油、塩などを並べる。ヨウコは顔をしかめた。
「味を付けるのか? オレにできるのか⁉」
「できるよ。はい」
 計量スプーンを渡す。ヨウコは受け取ったスプーンを見つめた。観念し少年の言う適量を器に入れていく。
 初めての作業に慣れていないだけなのか、ただ単に雑なのか器の周りを調味料で汚してドレッシングは完成した。
 ヨウコはできたてのドレッシングをレタスの入ったボウルにかけようとする。
「ストップ! それは食べる直前にかける!」
「どうして?」
「野菜がドレッシングに浸るとしなしなになる。それはそれで美味しいけどシャキシャキが一番だよ」
「ふぅん」
「ヨウコ、どれくらい食べる?」
 少年はヨウコの返事を待たず炊きあがった米をほぐし皿によそった。
「あっ! ご飯の上にカレーかけるのとご飯とカレー半分ずつにするのどっちがいい⁉」
「よくわからない。君に任せる」
「それなら、かけちゃうね。……はい、召し上がれ」
 次に少年は自分の分もよそった。いつもよりだいぶ少ない量だ。
「それで足りるのか?」
「うん。今はちょっとだけ」
「後でご両親と一緒に食べるつもりだろう。今食べなくてもいいじゃないか」
「いいのいいの。小腹が空いたの。それより初めてのカレーはどうよ?」
 ヨウコはカレーを一口食べた。相変わらずよく噛む。
「うーん……? 今まで食べたものとかなり違う味だ……味なのか? 不思議な感覚だ……」
「美味しい? 辛すぎる?」
「んん……」
 眉をひそめて一口、また一口と食べ進める。
「美味しくないなら無理しなくていいよ」
「これが美味い」
 ヨウコはじゃがいもを指差す。
「カレーのじゃがいも最高だよね! 本当はカレーって作った次の日のが美味しいんだ。旨味が出て」
「じゃあ明日になってから食べればいいのに」
「お父さんに今日食べたいって今日言われたからね。それに粗熱取って保存しないと次の日には腐って駄目になっちゃうこともあるし」
「時間を置けば美味くなるけど腐るリスクもあるなんて……」
「奥が深いんだわ、カレーって。自分で作ったサラダのお味は?」
「まぁ……でもこれは君が作っても同じ味だろう」
「どうかなぁ。……じゃがいも好きならさ、今度肉じゃが作ってみようか」
「肉じゃが?」
「その名の通り肉とじゃがいもを煮込むんだ。俺が初めて一人で作った料理」
 少年の両親にとって肉じゃがは決して馴染のあるものではなかった。どちらの実家の食卓には滅多に並ばない品だった。特別思い入れのある料理ではない。
 しかし小学校の調理実習で肉じゃがの作り方を学んだ少年が復習を兼ねて両親に振舞ってからこの家では倅の味となった。
「全然辛くないし美味しいと思うよ。ヨウコにも食べてほしい」
「別にその変な感じなのが苦手だってわけじゃない」
「そうか~?」
 この後すぐに帰ってきた両親と少年はカレーを食べた。ヨウコは正に一家団欒であるその様子をしばらく眺めてから肉じゃがの味を想像し先に眠りに就いた。