無理にきかないで #14

「お兄さん、これ食べない?」
「君の食事だろう」
「だってどれも味が薄いんだもん。とてもじゃないけどこれで元気になれるとは思えない。学校の給食は良かったなぁ」
「オレは食事をとらないからいらない。自分で食べな」
「ご飯食べないの?」
「食べないの」
「食べたことない? 今までずーっと?」
「そうだよ。これから先もずーっとオレは何も食べない」
 あれからそれなりの時間が過ぎた。あの時の驚いた少女の顔をヨウコは今も覚えている。

 その少女の命は不安定で予め定められている日に死ねない兆しが見られていた。命日は早まっても延びてもいけない。ヨウコは彼女の命の監視と護衛に充てられ少女を見守っていた。
 医者も要経過観察の結果を下している状態であった。ヨウコから見ても特におかしな様子は見られない。問題がなければ少女は予定通りに亡くなる。問題がなければ。
「あなたは誰? 天使か悪魔?」
「どうしてその二択?」
 人間には彼の姿を見ることも声を聞くこともできないはずだというのに、どういうわけか少女はヨウコを捉えていた。
「窓からふわっと入ってきたから人間ではないでしょ? 服が全部真っ黒だから悪魔かな? 天使でもおかしくないと思う」
「人間はそう考えるのか」
「私を人間代表みたいに言わないで」
「君はそう考えるんだね。でもどちらでもないよ」
「じゃあ何?」
「さぁ」
「うーん……魔法使いかな?」
 部屋に突然現れたおかしな男に臆することなく少女は疑問を投げかけた。
 少女は部屋から抜け出せない。毎日決まった時間に女中が彼女の世話をし、家族はたまに様子を見に来るくらいでほとんどの時間を一人で過ごしている。仕事で離れて暮らす兄が電話をくれるのを待ちながら窓の外を眺める日々を送っていた。
 楽しみのない少女にとってヨウコは話し相手にぴったりであった。
「お兄さんに家族はいる?」
「いないよ」
「おうちで一人?」
「そうだね」
「さびしいね」
「そう感じたことはないなぁ」
「本当に? ……そうね、人が家にいるから楽しいとは限らないもんね」

 順調に日を追って弱々しくなる少女はそれでも変わらず愛嬌たっぷりだった。ヨウコはいつの間にかそんな彼女をいじらしく感じていた。
 命日が近づいている。このままこの子の命がしまわれてしまうことがもったいなく思えた。
「ヨウコさん、こっち来て」
「はいはい」
 彼女に呼ばれベッドの縁へ腰掛ける。
「私、もう学校へは行けないみたい。お医者様は元気になるって仰るけど信じられないの」
「弱気だね」
「そうだよ。だからヨウコさんが元気づけてみるのはどう?」
「オレに何ができるかな」
「お話して」
「話? 何を?」
「ヨウコさんは好きな人いる?」
「それって誰かを愛するってこと? オレが? まさか」
 仕事仲間という関係性しか知らないヨウコには縁のない話だった。少なくとも彼はそう考えていた。
「ヨウコさん、人間じゃないのに人間らしいもん。私が着替える時、見ないでくれるでしょ? 布団かけないで寝てると肩までかけてくれるでしょ?」
「それが何」
「ヨウコさんは優しいからヨウコさんに優しくしてくれる人に出会ってほしい」
「……」
「私も誰かを愛して誰かに愛されてみたかったよ」
 微笑んだ彼女はまっすぐヨウコを見る。ヨウコは少女の熱い眼差しを受けると耐えられず顔を逸らし目を擦る。
「どうしたの? ヨウコさん?」
「いや、なんでも……」
 こちらを向かないヨウコに近づき彼女は幼子をあやすように背を撫でる。
「大丈夫だよ、大丈夫」
「……何が、何を根拠に」
 すると母や姉のような仕草とは一転、いつもの人懐こい笑顔を見せた。
「お兄さんのこと、大好き」
 少女はヨウコの頬に手を添え、彼の顔を自分の方へ向けるとそっと口にキスをした。不意を突かれたヨウコは急いで彼女を引き離した。けれどもう遅い。
 拙く強引に愛を示してくれた少女は一世一代の告白と引き換えに息を引き取った。死神の接吻は即効性があるのだった。