無理にきかないで #16

「ヨウコ」
 少年が名前を呼んでもヨウコが出てこない日々が続いた。気配を感じて声をかけるといなくなっている。しっかり避けられていた。
「傷つくんですけどね……」
 ヨウコのせいで自分の寿命が縮んでしまったという事実を少年は理解だけした。
 もうすぐ死ぬと言われても実感がない。今のところそのことに関しては怒りも恐れも悲しみもない。だからいつも通りに過ごそうとした。それなのにヨウコの仕打ちはこれだ。
 気持ちを切り替えるために宿題を解いていく。復習をきっちり行って近頃の少年は勤勉である。
「こんなの授業でやったのかなぁ」
 黙々と進んだが最後の問題で止まってしまった。一度切れた集中力は戻らずイライラし始めた。
「あーーー先に風呂入ろーっと」
 少年は積極的に独り言を発した。
 どうやらヨウコはこのマンションの一室から外へ出ることはないと少年は判断していた。あるいは出られないのか。ヨウコが常に家の中にいることだけはわかっていた。
 声の届く範囲にいるであろうヨウコへ話しかける。無視されようが接触を試みる。時間なら少しある。こうしている内にどんどん嫌われているかもしれない。それでも少年は諦めなかった。
 
 日が落ちるのが早くなってきた。意味もなく学校に残っていた少年は友人と一緒に校門を出る。
「あ! 見ろ!」
 友人が上を指す。つられて見上げると飛行機が赤い空を飛んでいた。
「いいなぁ。飛行機」
「わかる。かっこいい」
 少年は友人に同意すると遠い記憶を一つ思い出した。
「俺、大昔、飛行機になりたかったんだった……」
「なんじゃそりゃ。パイロットじゃなくて?」
「多分パイロットって職業を認識してなかったんじゃないかな。本当に小さい頃だったから」
「なるほどな~そういう俺も航空自衛隊になりたいって卒園式のなんかで言った気がする」
「園児の時に自衛隊の存在知ってたの? すごいな。もう諦めた?」
「諦めたっていうか、自然とただの憧れに変化してしまったな……無邪気だったぜ……」

 駅に着き二人は改札を通った。
「なんで家と反対側の塾に通わされてんだろ……普通は定期券内だろ……もう帰りた〜い……」
「せっかく評判いい塾入れたんだから頑張れ」
「お前は塾行かないの? 進学でしょ?」
「そのつもりだけど」
「……そいや例の子とはどうよ」
「進展なし」
「そっかぁ。そっちも頑張れな!」
 普段と違う方向の電車に乗る友人と別れて、少年はすでに二列に並んでいる人々の後ろに立った。
 前から三番目の右側。ふと見ると一番先頭の左に制服姿の小学生がいた。学年はわからない。ヨウコより少し小さいだろうか。今日もヨウコは姿を見せてくれないかな。そんなことをぼんやりと考えていた。
「まもなく二番線に電車が参ります。危ないですから黄色い線の内側までお下がりください」
 アナウンスが真上で響き、少年の耳は驚いた。そして目を見開く。視界に入っていた小学生の体がふらふらと揺れていた。小学生は一歩、二歩、足を前に踏み出すとそのまま倒れるようにホームから線路へ落ちた。
 少年は小学生の後に続いた。体は思考を置いて動く。何かに引っ張られるような、吸い込まれるような感覚だった。