無理にきかないで #17
ヨウコは耳を塞いでいた。
真実を話せば相手にされなくなるのは自分だと思っていたのにこの様だ。少年と向き合えず引っ込みがつかなくなり数日が過ぎた。
怒りも蔑みもしない少年を恐れつつも、その頑固な手緩さにつけこんでいたい思いでいっぱいだった。指の隙間から聞こえる自分を呼ぶ少年の声は心地がよかった。
彼の寛容さは不気味であると同時に今まで見てきた少年に相応しくもあった。平凡な少年だが自分の命に関わることだというのにそこまで欲が出ないものかとヨウコは呆れた。
姿を消している状態を保つには力が必要だった。ヘトヘトになったヨウコは少年が家にいない間にぐっすり眠っていた。
この日、目を覚ますと窓の外は暗くなっていた。時計は十九時。少年はまだ帰宅していないようである。両親もいない。
やがて玄関から鍵を挿す音が聞こえ、少年が両親と共に帰ってきた。
「今日は疲れたね。店屋物頼もう。何がいい?」
「ラーメン。醤油」
「わかった。頼んでおくからお風呂入っちゃいなさい」
「松葉杖なくて平気か? 一人で入れる?」
「平気だよ」
「足、濡らさないようにな」
「うん」
足を引きずりながら自室へ入った少年は見るからに疲労困憊だ。
「な、何があったんだ?」
今まで少年を避けていたことなど瞬時に吹き飛び、ヨウコは思わず声をかけた。
「わ! ヨウコ! あっ」
数週間ぶりのヨウコの姿に少年は狂喜したけれど両親がすぐそこにいることに気づき慌てて手で口を抑えた。
「今日、出前になった」
「そんなのどうでもいい」
少年は微笑む。駅で起きたことを話した。
「小学生が目の前でホームから落ちたんだ。もう電車が来るってアナウンスがあったのに考えなしに線路に降りちゃったよ」
「そう……」
「気失ってる人間って子供でも重いのな。急いでホームの下のスペースに入ったよ。非常停止ボタン押してくれた人がいたみたいで助かった」
少年の笑みは消えていた。風呂の着替えを用意しながら小声で説明を続ける。
「その子、貧血か何かだったみたい。落ちた時におでこ切っちゃって血がどくどく出てた。ホームドアあれば良かったんだけど。どっかの骨も折れてるみたいなこと聞こえた。でも生きてて良かった」
「君は足を怪我したのか」
「降りた時に捻ったっぽい。かっこ悪いな。俺まで病院に運ばれて親呼ばれて色んな人に話聞かれて帰ってきた。……後でまた詳しく話すよ。風呂行ってくる」
「うん」
ヨウコは少年の死ぬ日を把握している。一度だけ変更のあった命日だけれど今は安定していて、かつての自分のような邪魔は入らないはずだ。もう同じことは繰り返さない。
だから少年がいくら危険な目に遭ったとしても命日まで死ぬことはない。それなのにヨウコは少年の無事に胸を撫で下ろした。
体の力が抜けると涙と眠気が出てきた。子供の姿にされてから色々なことが制御できなくなっている。辛抱も体力もなくなってしまった。
いつの間にか再びヨウコは眠ってしまっていた。部屋は真っ暗だ。涙が乾き目が開かない。頬にも違和感があった。
目を擦っていると横向きで寝ている自身の背中に温かさを感じた。
「ふふっ……」
真後ろで少年が笑う。狭いシングルベッドに二人は並んでいた。
「何を笑っている……」
「風呂入ってラーメン食べて部屋戻ったらヨウコ寝てるし、起きたと思ったらハムスターみたいに顔くしゃくしゃするから」
「……足はどうだ」
「平気だよ。松葉杖なんて借りてきたけどすぐ治る」
「そうか」
「ヨウコも疲れたでしょ」
「疲れてない」
「無視するのって疲れるんだよ」
そう言って少年はヨウコの頭を片手でわしゃわしゃ掻き分けた。
「やめろ!」
「今までの仕返し」
「…………」
「死ぬまで仲良くしてよ」
「君、オレに構ってていいのか。なんでも叶えてやるって言ってたけどオレは……君の命を延ばしてやれないんだ。親とか友人とかもっと身近な人間に優しくしろ」
「ヨウコだって身近でしょ」
今度はヨウコの頭を整えるように少年は撫で始める。
「もう! やめろ!」
「なあ、仲良くしてくれる?」
「それやめろ!」
「これ心からの願い事にしよ! 決まった! いい? 決定!」
ずっと少年に背を向けていたヨウコは寝返りを打って彼と向き合う。暗闇にぼんやり少年の顔が浮かんだ。
「……暗くてよくわからない。朝になると君の考えが変わるかもしれない。もう今日は寝る」
ヨウコは体勢を元に戻し二人は明日を待った。