無理にきかないで #18

 浅い眠りから目を覚ました。今日は土曜日。朝の五時。
 少年が休日にこんな朝早く起床することは滅多にない。体が少し重たい気もするが不思議と頭はすっきりしている。
 まだ眠っているヨウコを起こさないように、自分の怪我をした足にも気を配ってゆっくりベッドから降りた。カーテンを開けると窓ガラスにはうっすら結露がついている。
 ベッドの軋みと衣擦れの音が耳に入りそちらへ振り返るとヨウコが目を擦って起き上がっていた。
「おはよう。起こしちゃったか」
「おはよう……」
 少年は結露で窓に落書きを残していた。濡れた指先を寝巻で軽く拭き取ってベッドへ深く腰掛けるとヨウコが少し浮いた。
「昨日の死ぬまで仲良くするって話さ、一旦置いといてもらえる?」
「えっ。あぁ、うん……」
 ヨウコは薄い掛け布団をくしゃっと握った。少年はお構い無しに話を続ける。
「死んだらどうなるかってのは教えてもらえる?」
「もう死んだ後のこと考えられるのか……」
「だって気になるでしょ」
「死後を考えるの怖くないのかい」
「怖いよ。昨日、家に帰ってきてから怖くなった。褒めてくれた人いっぱいいたけどお母さんもお父さんも泣きながら無事で良かったって繰り返すんだもんな。俺も生きてて良かったって思った。ということは死にたくないんだよね、俺は」
「ごめんなさい。オレが君の──」
 しおらしく謝るヨウコに少年は間髪を容れずに解釈する。
「ごめん。違う。ヨウコのこと責めてるわけじゃなくて」
「責めればいい。怒ってお前のせいだって言えばいいじゃないか」
 ヨウコの声はわずかに震えていた。少年にはヨウコが怒っているのか悲しんでいるのかわからなかった。
「責めないよ。そんなことしても俺もヨウコもどうにもならないだろ」
「偽善だ」
「思ってもないこと言わないだけだ」
「オレに同情しているんだね」
 少年は口ごもった。しかし少し考えてはっきり返答した。
「うん。ヨウコかわいそう」
「オレは君のことがかわいそうでならないよ」
 鼻をすするヨウコに詰め寄ると少年は両腕で小さなヨウコを閉じ込めた。
「なんだあ⁉ おい!」
 声を荒らげて暴れようとしたが少年の優しい力加減にヨウコは敵わない。
「話を戻すけど人間は死ぬとどうなるの? ヨウコの世界に行ける? 天国と地獄みたいな感じ?」
 彼から離れることを諦めてヨウコは体を少年の胸に任せると大人しく答えた。
「……世界の真ん中に大きな建物がある。そこにこれまた大きい何段もある棚が何台もある。死んだ一人一人に箱や小瓶が与えられていてそれが棚に並べられる。それだけ」
「中に魂が入ってるの?」
「どうだろう。入ってるのかもな」
「何もない? 空っぽ?」
「わからない」
「わからない……」
 少年が部屋のどこかをぼんやり見上げて何かを考えている間、ヨウコは彼が次に口に出す言葉に怯えながら少年の健康な心臓の動きを感じていた。一年もしないうちにこれは止まる。
「ふぅん……そういうことなら魔法使い、じゃないんだっけ。俺も死神にしてもらおうかな」
「はあ⁉」
 ヨウコはまたしても力一杯に少年を引き剝がそうとした。今度は少年も腕の力を弱めてやった。
「前に魔法使いになった人いたって言ってたよね? その人、死神になったってことであってる?」
「……彼は苦労している。今までと全く違う世界で慣れない仕事をしているよ」
「よくわからない棚に並べられるより第二の人生歩める方が有意義じゃない? ヨウコもいるんだし。ね」
 ヨウコは少年の顔を見た。人生で一番よく見た人間の顔だ。遠近を問わず多様な角度から様々な表情を見てきた。その顔が真正面から訴えかけてくる。
「嘘じゃないんだけど信じてもらえる? どうしたら心から願ってるってわかるの?」
「──目を見れば」
 それだけで十分だった。大望はヨウコの青い目を通る。あまりに眩しく、受け取りきれない分は溢れ出た。次々と流れる涙を少年は寝巻で拭ってやった。