無理にきかないで #20

 高校三年生になった。少年は三者面談などを経て大学進学へ方針を固めていた。
 料理は趣味で楽しむと伝えると母は驚き息子の本心を疑った。そこでも一悶着あったが少年には話し合っている暇などない。
 何も知らなかったら真剣に取り組んでいたであろう受験勉強に立ち向かうことにした。少年は自分なりに頑張った。それでも友人たちが夢のキャンパスライフを語っていると何も手につかなくなった。
 あっと言う間に来た夏休みは夏期講習で忙しい。がむしゃらに勉強しては索漠とした心持ちになる。これを繰り返して学力は伸び悩んでいた。結局、塾にも通うことになってしまった。
 少年の部屋の机には参考書やノートの山ができている。そこから明日にでも使うであろうプリントを探した。教科書と英単語帳に挟まっていたそれを引っ張ると山は雪崩れて床に広がった。
「もう迎えに来てくれ……」
 風呂に入って夕飯は食べずこの日はそのまま寝てしまった。

 朝になって父が少年を起こしに来た。
「おいおいおい、大丈夫かこの部屋……」
「……大掃除の途中」
 散らばったままの勉強道具の言い訳が咄嗟に出てきた。
「このプリントなんて破けちゃってるけど……今日も夏期講習? 休み?」
「休みだけど、適当に自習行く」
「それならご飯食べて部屋片づけてから行きなさい」
「うむ……」
 父が部屋を出てから少年はゆっくり身支度を始める。足の踏み場はほとんどない。散らかっているものを乱暴にどかした。
 テレビを見ながら用意された朝食を口に運ぶ。天気予報が今日は晴れだと伝えた。異常に暑い日が続いていることを少年も知っている。しかし毎日涼しい塾の自習室にこもっていたせいで少年はあまり今年の暑さを感じていなかった。もったいないと感じた。
 部屋に戻ってノートと教科書を教科ごとにまとめ、煩わしいプリントは全部捨てることにした。それから財布だけを持って自転車でどこかへ出発した。

 あまり馴染みのない道を行くと全く知らない住宅街に入った。更にいくつか角を曲がってみると遠い場所へ来てしまった感覚に陥った。気ままに進むと行き止まりにぶつかり道を戻る。反対の細道を行けば見慣れた酒屋を発見した。
「あ~……この道、ここに繋がってたんだ……」
 懐かしい中学時代の通学路に出た。毎日前を通っていた酒屋は変わらない。
 入り口に貼られているまだ真新しいチラシが目に入った。アルバイトの募集だ。
「バイトやらんかね~」
「わっ! 鳴海さん……」
 店から一人の少女が出てきた。少年の中学からの同級生である。高校も同じところへ通っている。クラスは違えど挨拶はする仲であった。
「人手足りないんだぁ。夏休みの間だけでも平気だよ。週に三日くらい来れない?」
「いいなって思ったんだけどうちの高校バイト駄目じゃん?」
「そんなん言わなきゃバレないよ。お父さんだってわかってくれる。あ、お父さんが店長ね。面接官だよ」
「うーん……曲がりなりにも受験生なんだよなぁ」
 少年とさして変わらぬ身長の鳴海はぼうっとした顔で彼を見る。
「曲がりなりって何」
「ええ~? そうだな……これでも一応、みたいな感じ。ちょっと違うか」
「へえ! 受験生って物知り! 私も受験生だけどね。勉強大変?」
「そうだね。でも、あんまやんなくてもいいんだよね」
「え⁉ 天才だから⁉」
 少年は笑った。おかしくて自然に顔も気持ちも解れた。
「逆。勉強しても身につかないんだ」
「わかる! 私も!」
「未成年でも酒屋さんで働けるもんなの?」
「働けるよ~! 店番とか棚出しとか掃除してもらうだけだもん。うちの普通のご飯だけどまかないも出るよ」
 少年はアルバイトの決意をした。履歴書を買いにコンビニまで鳴海に付いてきてもらった。そのまま証明写真を撮って親の署名を偽造し、その日のうちに面接を受けたのだった。