ムム
六月六日。公園の紫陽花がしっかり色づいて梅雨への準備は万端だ。うっすら汗ばむ暑い日だった。
私たち家族はムムを迎えに行った。父の運転する車の助手席に座って私は道路のずっと先を眺めた。この日を夢見ていた。夢に何度もムムは出てきた。小学一年生の私は六月六日までの日数を指折り数えた。ただ、こうしてわくわくして過ごしていただけではない。
様々な手続きを両親に済ませてもらい、家もムムのために普段あまり気に留めない箇所まで掃除をしたり家具の配置を変えたりした。
私はムムとのこれからのために図書館で本を借りて読んだり、近所の方から話を聞かせてもらったり自主的にたくさん勉強をした。初めてのことと予想外のことばかりだった。
彼らはみんなして人懐こいというイメージを覆したムムはとても臆病で人間に怯えていた。吠えたり噛んだりはしないので触ることはできる。しかし触れるとビクッと体を震わせ目を合わせない。スキンシップに喜びがない。
そんなムムを私は選んだ。最初、本当は店にいる血統書付きの子が欲しかった。保健所で引き取るにしても生まれたての小さい子が良かった。そのはずなのにムムを一目見た私はムムを一生涯の友に決めた。この子を変えるのは自分なのだと使命感に燃えていた。両親にも完全には人馴れできていない子と共同生活する覚悟を決めてもらってムムを家族に迎える用意を進めてきた。
再会したムムは相変わらず我々の様子を伺うようにじっとしていた。抵抗もせずキャリーに入れられる。少しでも落ち着くようにここで使っていたというムム唯一の宝物のブランケットを入れた。ムムのお気に入りはこれから増えるだろう。
家に帰って、リビングにあらかじめ作っておいた囲いの中にムムの入ったキャリーを置く。扉を開けてもムムは出てこない。水や餌を近づけても無駄だった。トイレもしない。なかなかの攻防戦だった。私は不安に思うより苛立ちを強く感じていた覚えがある。親の目がなかったら自主学習したことなど忘れて無理にでもムムを出そうとしただろう。
私は家にある全てのクッションをムムのそばに集めてそこで寝た。朝方、ムムが体をキャリーから出さず顔だけ伸ばして水を飲んでいる姿を見て私は興奮し、ムムを驚かせてしまった。
そして意外なことにキャリーの上部を外したらムムはすっと出てきた。初日にこうしていたら良かった。でも誰も思いつかなかったから仕方ない。ムムもここの屋根がないなら外に出ようと思いもしなかったはずだ。
少しずつムムは変わっていった。食事も排泄も人のいる時にできるようになった。日本の血が入っているような見た目なのでトイレは外で済ますものだと思っていたが家でもきちんとシートの上でできる賢いムムだった。
散歩もしばらく練習が必要だった。家の中でリードに慣れさせてから外へ出かけた。嫌がるかと思ったがムムはのそのそ歩きだす。やはり喜びはない。
しかし、元々この世界で二年ほど生きてきた子だから懐かしさがあるのだろうか。ムムはこの世の全てのにおいを感じ取ろうとする。歩いてクンクン嗅いでるとか思えば何かを感じて突然動かなくなる。
最初は気づいてやれなかったけれどムムはツバの広い帽子をかぶる人間が苦手だった。どう見えていたのだろう。妖怪のように感じるのか。大きな帽子の人間に酷いことをされたのか。
「大丈夫だよ。怖くないよ」
そう声がけしてやることしかできなかったがそれを徹底した。
家から歩いて五分くらい先に広い公園がある。そこを二周するのがムムのメイン散歩コースとなる。
「すごくかっこいい子だね」
「シェパード?」
「強そうだねぇ」
「撫でてもいいですか?」
このように通りすがりの人によく尋ねられた。
ムムは中型の黒のすらっとした美しい子だ。腹部全体と胸の一部は白い。私が骨抜きにされたように人目を惹く。出生がわからないミステリアスな面も魅力だろう。家に来たばかりのムムを私たちはよその人間に触らせなかったが、家族に白い腹を見せてくれるようになってからはたくさんの人にかわいがられるアイドルになった。
あらゆるもののにおいを嗅いで情報収集するのに勤しむムムは特に花にこだわっているようだった。食べたらムムの体に悪い植物も多い。しかしムムはにおいを感じ取るだけで済ませていた。
花はムムの引き立て役だった。並ぶ様子を写真に撮った。散歩には誕生日に親からもらったトイカメラをいつも持って行った。ムムは作文の題材にもなった。鍵盤ハーモニカやリコーダーで曲も作ってみた。中でも一番多く生み出したのは絵であった。
暇さえあれば静かにしているモデルの前に画材を広げた。
黒い体のせいで黒い瞳が見つからない時がある。用もなく「ムム」と一言小さく声をかけると床に伏せているムムは私を目だけで見る。この時の顔が好きだ。ムムの白目を確認して私はもう一度「ムム! おいで!」と呼んだ。今度は立ち上がって駆け寄ってくる。そして白い腹を見せる。撫でて撫でて抱きしめる。
窓辺で二人で寝っ転がりながら絵を描く。日に当たったムムは輝く。つやつやの全身は健康と行き届いた手入れを表した。それに安心して私はまたムムを撫でる。何度も撫でる。それからお互いを寝具にして私たちは眠った。
学校でも描いていた。同級生にうちの子も描いてほしいと頼まれたけれどムム以外を描く時間は惜しいし、そういうのはあなたがあなたの子を慈しんでやるものだと断った。
よく見て。私を映す瞳は何色か。撫でて。あたたかさ、毛並みを感じて。聴いて。フローリングを鳴らしてこちらに向かってくるチャッチャッチャッチャッ。嗅いで。生を思わせる香ばしさ。食べてみて。全力で振るしっぽから発生した小さな小さなつむじ風をぱくっと。そういう全部を全部で感じて全部で表現する。それに私は価値を見出していた。
この世でムムは最も雷を恐れた。
遠吠えを教えても何をしているのかと不思議そうに私の顔を見ていたムムが珍しく短く吠えた。家に来て初めての雷の大きな音にパニックになったムムは私と母の言うことを聞く余裕を持たずリビングから飛び出す。運悪くそのタイミングで帰宅したずぶ濡れの父が開けた玄関のドアに激突しながら雷の鳴り響く外へ走り出た。そのまま門扉を越えて私たちは初めてムムの真の運動能力を見た。
両親はムムを探しに雨具を身に着けて出かけた。留守番を言い渡された私は納得できなかった。ムムが帰って来るかもしれないからと言われ大人しくした。今思えば雷雨の夜に小学校を外に出すのは危険だ。家で一人、みんなが帰って来るのをただ待っていた。
ムムが見つかったのは翌日だった。どの時間帯にも車の交通が激しい大通りを越えた隣町で保護されていた。ムムを見つけた心優しい人が警察に連絡を入れて家で預かってくれていたのだ。私たちは折り菓子を持って感謝を伝えに行った。
それから二度とムムを恐ろしい目に遭わせないと誓い、我が家の門扉は高さのある新しいものに変えた。元々、二階に続く階段やキッチン前に設置していた柵も買い足して家の中は柵だらけになった。
今まで空模様なんか興味なかった私も天気予報を見るようになった。雷の音に気づいたらすぐにムムを毛布に包んで抱きしめて揺らすように撫でた。ひたすら話しかけた。怖いものなんてないんだって。私はムムが好き。ムムも私が好きでしょ? そんなことを言いながら晴れを待った。おやつの用意も忘れずに。
夜に私が歯を磨き終えて自室へ向かうとムムは待ってましたと言わんばかりについてくる。専用の布団が用意されてあるので昼はそこで寝ている。日中、誰も家にいない時間は退屈なのだろう。ずっと眠っているようだった。
愛情深い子なので両親の寝室へ行く日もある。そんな日の私はムムを裏切者めと一度ぎゅっと抱きしめてから一人で寝た。
人の機微を読み取る能力は言葉を伝える術を持つ人間より優れている。進学し複雑になった学校の人間とのやり取りで傷つきベッドにもぐって一人静かに怒りと悲しみを抱いて後悔や期待で忙しくしていると必ずムムは来た。私の体にムムの体がぴったりくっつく。それだけで私の固結びの心はほろっと解かれる。目から涙があふれてムムで拭いた。ムムは文句も何も言わなかった。
ムムは八年を我が家で過ごした。およそ十年近く生きた。少し早い気もする。けど、あれ以上頑張って生きろと言うのも酷なものだろう。十分だ。苦しみは去った。つば広帽の人も来ないし雷も聞こえない。ムムの一生涯の最後の最後にいられて私は幸福だった。
本当はどこまでも一緒にいたい。ムムの行く先が私の行く先でありたい。虹の橋なんてものがあるのなら共に渡ろう。そうできない私を許しておくれ。
日頃からムムを愛でてくれた人に知らせるため、両親の許しを得て家の庭の塀にメッセージを掲げた。
「いつもかわいがってくださりありがとうございました」
多くは語らない。
人間が大好きになったムムは塀の隙間から顔を出して近所の人に愛想を振りまいていた。家の前を通る散歩仲間や学生、小さな子たち、その保護者。多くの人が愛でてくれた。
翌朝、登校のため家を出た私は塀の隙間に一輪の花が差し込まれているのを見つけた。丁寧にラッピングされた白いガーベラだった。
宛名も差出人も書かれていない。だけどどこかの誰かが去ったムムを、家に残る私たち家族を思ってくれた。きっとこの道を通る度にムムを思い出してくれる。あたたかいものだった。
それと同時に自分ももっと何かムムのためになることをしてやれたのではないかと散々陥った思考のループから再び抜け出せなくなった。ムムは数えきれないくらいのものを与えてくれて、それを返せただろうか。精一杯愛せただろうか。愛したつもりだ。いっぱい考えた。だけど、もっと、何か。何かムムにとっていいことを。私はできただろうか。したかった。考えても考えてもわからなくて私は幼子のように大泣きした。
家に戻ってムムの前にガーベラをそっと置く。植物が好きだったムムのことだ。きっと匂いを嗅いでるだろう。
春のムムは様々な花を噛んだり食べたりせずただただ嗅いだ。夏には青々と茂る芝に体をこすりつける。秋は落ちてきた大きな葉を咥え家族に見せびらかした。冬になると地面を掘ることが増えた。
そういうムムを見てきた。そして絵や写真などに残した。ムムがいるはずの場所にムムがいないことがさびしい。今は何を見ても思い出す。当時の私の十四年の半分以上にムムがいた。きっとそのうちムムのいない日々が日常になってしまう。恐ろしい。
だけど私の生涯にムムはついてくる。これからずっと散歩の時のように私の横にいる。悲しい時は体をくっつけてくる。私の中からムムが消えることは絶対にない。なぜそう言い切れるか。日は過ぎても巡るから。
誕生日がわからない我が永遠の親友。六月六日は君と私の記念日。この日を迎える限り私はムムを語ろう。描こう。歌おう。そうやっていつだって私は君を求め、愛を注いで生きていこう。それが私の真心だと信じて次の六月六日を待っている。