アットアワードラマクラブ 第三幕 Ⅰ
第三幕
第一場
麗らかな春。入学式も終えて演劇部にも新入部員が来た。今は先生からの課題『外郎売』の頃だ。
その間に三年生には別の課題がある。高校最後の文化祭での演目決めだ。毎年、三年と顧問の先生で会議をして決めている。何をやりたいか全員考えてこないといけない。
こうして演劇部に入っているけど俺は演劇に詳しくない。いまだにプロの演技を直接見たこともない。俺の演劇はこの学校の演劇部が全てだった。
参考になるものを探しに一人で部室を見てみることにした。
部室の棚には今までの資料がずらっと並んでいる。この中から適当に選べばいいんじゃないか。ほら、『ロミオとジュリエット』とか。演劇といえばこれだ。棚からファイルを取り出す。ステープラーで留められるギリギリの厚さの束がいくつもあって、でかいクリップでまとめられていた。
書かれてる翻訳と脚本が同じ名前の人だった。卒業生かな。七年前に書かれたようだ。原文をきちんとした日本語に訳す前の書き殴ったメモも一緒に残っていた。相当苦労したことだろう。
軽く目を通すとさらっとロミオとジュリエットが出会う場面まで読んでしまった。おもしろい。ロミオって他に好きな女がいたのか。どんどん読み進めた。
男女の恋愛の話だとは知ってたけど二人はまだ子供だった。周りがやめろと言ってるのにずっといがみ合ってる両家。おかしいだろ。二人して死ぬなんて馬鹿なことをすると思ったけど非常識な大人たちから離れるには彼らはこうするしかなかったのかもしれない。
ロミオとジュリエット以外にも犠牲者がいたのにも驚いた。かわいそうな若者たち。マキューシオとティボルトが死んだ時点で和解になれなかったのはやはり殺されたからなのだろう。他殺だと憎しみの連鎖は止まらない。ロミオとジュリエットには自殺してもらわないと駄目だったんだ。悲しいなぁ。
どれくらい忠実な訳なのか知りたくて図書館棟で本を借りて比較してみた。古い英語で書かれてる上に英語の例えやジョークをそのまま日本語にするのはプロの翻訳者でも難しいらしい。やっぱり訳すのは大変だったはずだ。
読み比べてわかった。演劇部のものはかなり現代的な言葉に変えられて上手くまとめられていた。最初の召し使いたちの言い合いも仲が悪い二つの家があるという情報をお客さんにわかってもらえばいいってくらいに省略できるように注釈も入ってる。下品な台詞も丸括弧でくくられていて省いても会話が成り立つようになっていた。これは使えるんじゃないだろうか。
第二場
「へぇ。ロミジュリですか」
演目決めの日。俺の提案に先生が声を上げた。
「はい。学生の劇と言えば、みたいなイメージあると思うんですけど、高校演劇では意外とやらないと聞きました。調べたらうちの部でも上演してません」
「うんうん」
「配役多いですし、衣装も倉庫の使えそうで一から全部作る手間はなさそうです」
「よく考えてくれてるんですね」
先生がにっこり笑う。
「はい……」
去年の劇はてんてこ舞いのきりきり舞いだった。それを避けるにはこれくらいしたかった。
「部室にあった脚本を見たら言い回しが現代風になってておもしろかったです。これです。七年前の先輩が訳したものっぽいんですけどぉ……」
先生をちらっと見た。目が合うと意図を汲み取ってくれた。
「卒業生が残したものなら使っても問題ないよ。使用許可が欲しいなら僕から連絡取ることもできます」
「ありがとうございます!」
もしかしたら訳した先輩にとっては忘れたい過去かもしれない。こうして紹介しといて何を言ってるんだとも自分で思うけど勝手に使うのははばかった。
「見てもいい?」
俺の横に座っている進藤さんが台本に手を伸ばしてきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
パラパラとページをめくる。やがて手を止める。
「古風で詩的な台詞もとっつきやすくなってる。思い切り演じたらきっと楽しい。お客さんも退屈しないと思います」
「僕も読みたいで~す!」
「あたしも!」
「あ、じゃあ、回します」
興味を持ってくれた部員がいて安心した。俺は詳しく知らなかったけど有名な話だしそんなに食いつかれることはないと思ってた。
会議は続いた。
他のみんなはただやりたい演目を言っただけだった。俺はやけにしっかりプレゼンをして一番やる気のある人のようになってしまった。少し恥ずかしい。
そのおかげで『ロミオとジュリエット』に演目が決まって先生も訳と脚本を担当した卒業生の先輩に確認を取って使用の許可を得た。上演時間と部員たちの記憶力の問題で注釈に則って台詞を削ることも許してくれた。先輩は大層喜んでくれて文化祭に行くと言っていたと聞いた。
この年の演劇部はチームヴェローナと呼ばれた。言い出しっぺはどうやら先生だったらしいけど悪い気はしなかった。
第三場
ある日の帰り道、歩きながら清水が完成した脚本を広げた。
「繰り返し読んでますなぁ」
「うん!」
「やりたい役あった?」
「どの役も楽しそうだけど乳母とかどうかな?」
「乳母か。男がやってもおもしろそうだけど……どうだろう……うちは女子が多いから女役に男持ってこなくてもいいんじゃない?」
それに清水だとコミカルすぎる気がする。
「そっかー。あとはそれぞれの家の家来の人とか。その他大勢もいいかも」
「はあ⁉」
そんなこと許されるもんか。友達を贔屓目で見てるわけじゃない。うちで一番演技の上手いやつに名もない役を先生も進藤さんもやらせないだろう。
「え? 何? 里ちゃん?」
「あ、いやぁ。もったいないこと言うなよ。オーディションやるんだからさ」
「もったいない?」
「うん。清水は上手いんだからもっとメインを狙っていくといいよ」
「ん~……」
俺の言うことが理解できないのか納得していないようだった。
「里ちゃんは? やりたい役ある?」
「俺も考え中だけど、この役いいかもってのある」
「そうなんだ。なら僕ももっと読み込んで考えてみるよ」
「そうしな!」
なんなら乳母に挑戦してみてもいい。どんな役でもやれるだろうけどその他大勢は絶対に駄目だ。清水はすごいんだから演劇部以外の人にもちゃんと見てもらうべきだ。
俺はマキューシオをやりたい。お調子者なこいつが死ぬシーンが好きだ。そこから悲劇が本格的に始まる。こいつはペラペラ冗談を言うし、殺陣の練習も大変そうだ。オーディション用の台本を何度も読んだ。
オーディションまでの一週間、部活は自由参加だった。俺は自主練のためにレッスン室へ通って他の部員と読み合いをした。今のところマキューシオを希望している人は四人いるようだ。
「オーディションの日……来ないでほしい……」
「情けないこと言わないでよ。副部長には審査員もしてもらうんだから」
「え⁉」
進藤さんが柔軟体操しながら俺に言う。
「先生に私、里中くん、各役職のリーダー、それから役者チームからも何人か参加してもらう予定」
「そうなんだ……怖いな……」
「里中くんのマキューシオ素敵だよ。一年生公演思い出して。いい劇になるよう頑張りましょう」
一年生公演。もう懐かしく感じる。あの時はオーディションがなかったから今より気持ちが軽かった。できることが増えると苦労も増える。
第四場
清水はまた小テストの点が悪くて放課後に再試験を受けるので部活に来なかった。今回も俺が教えようかと申し出たけど断られた。勉強もオーディションも大丈夫なのだろうか。
読み合わせを終わらせて一足早くレッスン室を出て部室に寄った。誰もいないと思ったけど清水がテーブルに伏せて寝ていた。ブレザーではなくジャージを羽織っている。きっとレッスン室へ行くつもりで睡魔にやられたんだろう。
清水の腕の下には英語のプリントとオーディション用の台本が広がっていた。どちらも書き込みがあって頑張りが伺える。台本のロミオの台詞に蛍光ペンで印がついていた。
ロミオ。清水がロミオ。なるほど。上手いやつが主役をやるのは当たり前だ。でも清水だ。どうなんだろう。演技で全てどうとでもなるのか。
「……清水、よだれ垂れるぞ」
「んうー」
肩を揺さぶって清水を起こす。
「俺、もう帰るけど。部活ももうすぐ終わる時間だぞ」
「おぉ……里ちゃん……」
目をこすって清水は俺を見る。
「再試の勉強はどう?」
「何もかも覚えらんないよ〜」
「繰り返し叩き込まないと。オーディションは? 受けるの?」
「うん。やってみることにした」
いつものように清水はへらりと笑った。
それから部活のことにも勉強のことにも触れず、どうでもいいことを話しながら一緒に帰った。
第五場
オーディション当日になって誰がどの役にエントリーしてるか一覧になっている紙が配られた。ステープラで数枚綴じられている。一枚目にはジュリエットとロミオに立候補した部員の科と学年と名前が書かれている。
ジュリエットに立候補してるのは二人だけだ。どちらかが落ちるのか。両方下手だったらどうするんだろう。
対してロミオは五人いる。そのうち三人が女子部員だった。清水の名前はなかった。
俺は次のページのマキューシオの欄に載っているであろう自分の名前を確認しようとした。
「それではオーディションを始めます」
進藤さんの一言で瞬時にレッスン室の雰囲気が変わった。紙をめくろうとした手も自然と止められた。
「去年までは審査が部員のみのオーディションでしたが今回は先生に来ていただきました。快く引き受けてくださりありがとうございます。皆さんもどうぞよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
挨拶を終えると進藤さんはレッスン室の外で待機していた一人目のジュリエットを呼び入れた。一年の女子生徒と一緒に清水も入ってきた。
「あれ。清水」
清水は審査に関わらないはずだ。俺の小さい驚きに気づいた進藤さんが席に着きながら答えた。
「掛け合いしてもらいたくて清水くんに頼んだの」
「そうなんだ」
「今だけロミオで~す。よろしくお願いします」
清水がロミオの台詞をチェックしていたのはこのためだったのか。じゃあ清水は何役を受けるのだろうと考えながらオーディションの参加者の一覧表をめくって清水の名前を見つけた。希望者は五十音順に並んでる。俺の次に書いてあった。マキューシオだ。
オーディションが始まったってのに上の空だった。清水、マキューシオかぁ。合うよなぁ。ちょっとひょうきんなところとか絶対に似合うよ。マキューシオを受けるのは俺も含めて五人いるけど、こりゃもう清水だろ。
清水は今、ロミオをやっている。有名なバルコニーのシーン。ジュリエットの大きな独り言。ジュリエット役の後輩は緊張しているのだろう。ずっと声がうわずっている。おまけに早口だ。清水の顔をまっすぐ見ている。バルコニーにはジュリエットしかいないはずだし、ジュリエットはロミオの存在に気づいていないのに。
そんな姫の言葉の速さと目線を調整するように清水は立膝をついてゆっくり愛の言葉を返す。
「『あなたのお言葉通りにいたします。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。そうすれば新しく生まれたも同然。今日からロミオではなくなります』」
清水はイケメンではないけど、こうして見ると優しくてかわいい顔をしているのかもしれない。こういうロミオもありかも。ロミオの頼りなさも魅力だろう。清水はロミオではないんだけど。
第六場
ジュリエットとロミオのオーディションが終わって十分の休憩が入った。申し訳ないけど特にジュリエットはあまり真剣に見れなかった。審査員は大変だ。いい方を選ぶ。想像以上に気が減る行為だ。
トイレから戻る途中、廊下で清水を見つけた。
「ロミオお疲れ」
「お! お疲れ~!」
「なぁ、清水もマキューシオなんじゃん! 聞いてないよ! 俺らライバルじゃん!」
「里ちゃんもマキューシオ?」
そうだ。誰が何を受けるのかは審査員しか知らないんだった。
「マキューシオいいよね! 自由奔放で!」
「向こう見ずなところかっこいいよな。誰より先に死ぬけど」
「そっかぁ。里ちゃんもマキューシオが好きなんだね」
「まぁ……」
嬉しそうに清水は笑う。
「里ちゃんのマキューシオ見たいなぁ。オーディションってさっきのジュリエットみたいにレッスン室に一人ずつ入ってやるんだよね? 里ちゃんの番の時、僕、見てちゃ駄目かな?」
「やりづらいから駄目……」
「え〜ん。そっか〜」
「休憩終わるから戻るわ」
「審査員頑張って」
「うん」
「マキューシオも頑張ろうな~」
「うん」
清水に俺のマキューシオを見せることはないだろう。どうも清水には見せられない気持ちとせっかくだから見てほしい気持ちがあった。見せたくない方が大きいかも。