アットアワードラマクラブ 第四幕 Ⅰ

第四幕
 第一場

 七時半時。学校に着くとすでに進藤さんがいた。流石だ。いつも集合時間の十五分前にはいる。
 衣装に着替える。衣装係の井藤が髪をセットしてくれた。前髪の分け方をちょっと変えるだけで気分も変わるものだ。
「すぐ講堂に行けるようにしてください。忘れ物に気をつけて」
 八時。講堂へ行っていた照明班も一度レッスン室に戻り部員全員が集合した。
「そろそろ移動します」
「あの! ちょっとだけいいですか!」
 声を上げると部員たちが動きを止めて俺に注目する。
「声出しも兼ねて円陣組みませんか⁉」
「わ~い! 円陣!」
 ぴょいと横から清水が俺の肩に腕を回してきた。次々と部員が集まってレッスン室にぎちぎちの円ができる。
「えー……では、みんな! 今日と明日! 楽しみましょう! チームヴェローナ! 行くぞ!」
「おーーーーー‼」
 俺に続いてみんなが声を合わせる。真横にいる清水の声は嫌でもわかる。防音のレッスン室の床が揺れる。ビリビリ痺れるように俺の耳に届く。
 八時四十五分。生徒会による開祭宣言を俺たちは講堂で放送を聞いていた。
 演劇部は講堂で行われる催しのトップバッター。明日は反対にトリを飾る。

 九時。一般のお客さんを入れる時間になった。うちの文化祭は在校生の家族や卒業生、受験生だけに公開される。限られているにもかかわらずかなりの来場者数になる。中には演劇部のファンもいて毎年目当てに来る人もいると先輩たちは言っていた。
 講堂にも人が入って来た。一瞬だけ覗いたらとちり席あたりまで人がいるのが見えた。いよいよだ。
 そわそわしてつま先立ちを繰り返すと直前なのに付け髭が気になってきた。これに慣れる練習もしとけば良かった。井藤に付けてもらってあまりいじらないように言われたが気持ちが悪い。
 周りを見る。舞台袖でもみんな台詞や衣装を最後までチェックしている。進藤さんが後輩の手をさすっている。俺もそばにいるキャピュレット夫人に声をかけてみる。
「妻、調子はいかが?」
「いたって好調。あなたは?」
「緊張してる」
「嘘ついた! ごめん! 私も! どうしよう! 始まっちゃう!」
 少しでも落ち着けるように一緒に深呼吸すると何人か集まって体と気持ちをほぐした。
「二階席前方埋まりました」
 誘導係の部員が知らせに来ると舞台袖はざわめいた。去年より確実に人が入っている。
「里ちゃん、髭めくれてない⁉」
「え⁉ 嘘⁉」
 知らない間に俺の横にいた清水に指摘された。
 初めて付けた時に鼻の下がかぶれて痛かゆくなったから粘着性を弱めてもらった。昔から俺の肌は絆創膏にも負けるのだ。井藤を探したが俺たちとは反対側の下手にいる。
「まもなく開演でございます。お早めにお席にてお待ちください」
 影ナレが始まった。他の衣装係にも声がかけづらい。
「やばいやばい」
「うおお」
 清水に髭の両端を力強く親指で押される。
「只今から演劇部による『ロミオとジュリエット』を開演します」
 指が離れるとすぐペラリと浮く感覚があった。俺たちの劇が始まった。



 第二場

 初演はまるでリハーサルのように終えることができた。小さいミスこそあったけど全部カバーできるものだった。やけにきれいにできた。物足りないくらいだ。
 だから明日の公演に向けて各々意見を出してレッスン室に戻り反省会をした。
「里中、清水から聞いたよ。髭取れたんだって?」
「あぁ、うん」
 キャピュレットの髭は途中で美術係から借りた文房具の普通ののりで付けてみた。終演後すぐ外して汗拭きシートで顔を拭いた。井藤以外の衣装係たちも改めて相談に乗ってくれた。
「ん~……つけま用ののりでもかぶれちゃうかな……?」
「付けたことないからわかんない……」
「今あるよ! 試してみる?」
「うん」
「明日はいっそ髭なしでもいいんじゃない?」
「いや~里中の顔だとロミオとか若者寄りになっちゃうだろ~」
「明日までに客席からでもわかるくらい髭生やしてきてくださいよ!」
「やれるならやるよぉ」
 とりあえず、つけまつ毛ののりでやることになった。痛いのもかゆいのも赤くなるのも嫌だ。でも明日だけだ。そしたらきっとかぶれる心配なんか二度としないんだから。



 第三場

 反省会が終わると各々自由に過ごした。文化祭を楽しむ人、何か食べるものを調達しに行く人、部室で勉強を始める人。帰る人もいた。
 清水はどっかに行っていた。探す気にはなれず俺はレッスン室にタオルを敷いて少し寝た。
 三十分ほど経っただろうか。心地よく眠っている俺の鼻をくすぐる刺激的な香りが漂ってきた。
「お! 里ちゃん起きた!」
 俺の真横で清水がパックに入った焼きそばを食べている。
「いいもん食ってんじゃん……」
「里ちゃんも食べる? 適当に買って来たんだ。お好み焼きとたこ焼きもあるよ」
「ソース祭りだ……」
「じゃがバタと焼きとうもろこしと冷やしキュウリも美味しかった」
 清水はよく食べる。それでいて脂肪も筋肉もあるわけじゃない。一年の頃に比べたら一回りくらい大きくなったかもしれない。
「は~い。割り箸プレーゴ」
「グラッツィエ」
 清水は割り箸を四膳も持っていた。半分の料金を払って半分のお好み焼きと半数のたこ焼きを買い取った。やや冷めてはいたけど寝起きにはちょうどいい。目が覚めてきた。
「もう色々回ってきたの?」
「一通り見てきた! ほら!」
 家庭科の時間で作ったようなナップサックから次々ともらってきたチラシや景品を出して見せてくる。
「スタンプラリーも制覇したよ~」
「何が一番おもしろかった?」
「ラッケン!」
「ラッケン……らく……落語か! 落研!」
「うん」
 わが校の落語研究部はオチケンではなくラッケンと呼ばれていた。確か人数も少ない小さな部だ。
「そんな良かった?」
「おもしろかった! 一人で何役もやって、笑わせるの。部長の人が特にすごかった。知らない人だったけど三年生みたい。落語って一人芝居なんだなぁ。お客さんの反応見ながらやっててすごいよ。ファンになっちゃった! どうして今まで見てこなかったんだろう」
 目を輝かせ喜々と語った。
「部活紹介で落研見なかった? そん時はいいなーって思わなかったの?」
「僕、帰っちゃったんだよね」
「なんで? 早退?」
「入る部活決まってる人は見なくていいんだと思って帰っちゃったら次の日先生に怒られた」
「ありゃりゃ……」
 もし一年の時に清水が落研を見てそっちに心動かされていたらどうなってただろう。俺は『外郎売』の発表でくじけて演劇部を辞めてたかもしれないし、マキューシオだったかもしれない。そんなのは嫌だな。
「……マキューシオが死ぬシーン悩んでたよな。本人的に今日の出来はどうだった?」
「あぁ、ね。一応、納得できる解釈できたかも」
 マキューシオが死ぬ際に言う台詞。清水は言葉通りに受け取れてなかった。「くたばっちまえ」をどんな気持ちで言ったのか。清水は引っかかっていた。
 屋台で買ったものを食べ終えると清水はレッスン室の床に寝転んだ。
「ティボルトがさ、ジュリエットのこと好きだったならさ」
「うん」
「マキューシオは立場的に中立でさ、でも、ロミオとベンヴォーリオとつるんでて。友達の味方になりたくて、モンタギューの」
「……」
「いや、本当は家は関係なくてさ、単純にロミオの人柄が好きだったんだよ」
「うん」
「甘ったれなロミオにモンタギューを継げるかわからないし、そもそも継がなくていい。家そのものがなくなればもう争わなくて済むんだし」
「ジュリエットとはまた違った『家名を捨てて』みたいな?」
「そーんな感じ!」
 ただでさえ下がってる眉をさらに下げた。
「あんなやばい二家族をずっと放置してた周りもおかしいもんね。何もできない短気なマキューシオは暴れるしかないのだ。僕たちと変わらない、世間に不満のある若者だったのである」
「清水にも社会への不満不平があるのか」
「あるよ。わかんないけど、多分ある。マキューシオは頭がいいからちゃんとわかる」
「ふぅん。ずっと思ってたんだけど清水は緊張知らずの人なの?」
「ええ⁉ 知ってるけど⁉ するよ緊張! 今日だってバクバク!」
「全然見えない」
「僕ってポーカーフェイスだからなぁ」
「表情なくないだろ。常にへらへら顔じゃん」
「よく言われる~笑ってないのに笑ってるとか」
 清水は寝たまま両手両足をばたばた動かす。雪の上だったら天使ができてただろう。
「バクバクってさ、上手くできなかったらどうしようって清水も不安に思う?」
「それもあるけど楽しみなのが強いかも」
 全力で楽しめる余裕があるんだ。強いな。俺はとてもじゃないけど無理だ。
「里ちゃんは不安なの?」
「俺は……俺も楽しみたいけど、どんどん怖くなってきてるな。もう明日でラストだって考えると早く終わってほしいのにずっと明日が来なけりゃいいって思っちゃうなぁ」
「あんなに練習しても?」
「しても」
「みんながいても?」
「……」
「今日のキャピュレットは今までで一番怖かったよ。あと、かわいそうだった」
 自分の腕を枕にして寝たまま清水は俺を励まそうとする。
「日に日にパワーアップしてるから明日はもっとすごくなるね。里ちゃんの演技も劇全体も。もし台詞どっか行っても周りがフォローしてくれるよ。今日だってそうだったでしょ。パリス」
「あぁ……」
 パリスがキャピュレットにジュリエットと結婚させてほしいと頼むシーンでパリスの台詞が飛んだ。一瞬、俺まで息を飲んだ。だけど、パリスの代わりにお前の言いたいことはわかるよといった体でしゃべり続けた。
「あの時、袖のみんなで沸いたんだから」
 公演が終わってすぐにパリス役の二年に何度も謝られたけどあれくらいいくらでもやってやるなんて言った。俺も必死だったんだけど先輩風を吹かせた。
 清水は五分くらい寝た。起きてから一緒にそこら辺ぶらぶら文化祭を見て回って帰った。



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